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表面上の訴訟物人権護る具体的権利:真の訴訟物は侵害損傷人権


第一部
 第6章

表面上の訴訟物
 人権護る具体的権利
  :
真の訴訟物は侵害損傷人権

  ――既判力は損傷人権が裁判の結果
    補修回復された帰結







       目 次


1 本当に実体法説によっているという事実はない
2 実体法・人為法、したがって実体権は幻覚
3 則自然法人権擁護システム社会(国家)確認した
   憲法13条

4 人権と
  それを擁し資し進歩向上を促すための具体的権利義務

5 表面上の訴訟物
   人権護る具体的権利
    :真の訴訟物は侵害損傷人権

6 人為法暗礁に乗り上げ破綻した訴訟物理論
7 表面上の訴訟物は
  損傷人権を補修回復させる手段請求債権債務

8 補修回復せしめる手段請求債権債務は
  超法規的に発生する自然法上の債権債務

9 既判力は損傷人権が
  裁判の結果補修回復された帰結









1 本当に実体法説によっているという事実はない

訴訟物を「実体法上の請求権を基準にする考え方を実体法説、
あるいは旧訴訟物理論と言います。」
「甲という患者が乙という医師のところで手術を受けました。
ところが、乙の手術ミスによって甲に三百万円の損害が発生しました。」
この「事実関係から」、
「民法709条の不法行為に基づく損害賠償請求」権と
「治療契約」上の「債務の本旨に従った履行ではない。
つまり不完全履行であるとして、
民法415条に基づく債務不履行による損害賠償請求」権が
発生する。
「実体法説は、
素朴に実体法上の請求権毎に一個の訴訟物を認めますから、
この場合に甲には二個の訴訟物が成立しうる
というふうに考えます。」
(吉野正三郎「集中講義民事訴訟法[第4版]」成文堂103ページ)。
伊藤眞教授は、
「判例およびかつての通説はこれを採用し、
また現在の実務もこれにもとづいて運営されている。
本書もこの立場をとる。」
(伊藤眞「民事訴訟法」有斐閣163ページ)、
と言っている。


勿論、「甲には二個の訴訟物が成立する」というばかげた結論を
本気で主張する狂人はどこにもいない。
「甲には一個の訴訟物しか成立しない」、という結果は、
選択的併合という弥縫策によって導かれている。
要するに、「判例およびかつての通説」も、「現在の実務も」
本当に実体法説ないし旧訴訟物理論によっている、
という事実はないのである。


法規(法律)は人権を擁し資し進歩向上を促すための方策・制度
を予め約す社会的合意(契約)だ。
契約は当該行為に係る人権を擁し資し進歩向上を促すための
方策・制度を予め約す当事者間合意だ。
権利義務が法律・契約によって、それだけで、
ストレートに発生する、という事実はない。
そもそも「民法709条の不法行為に基づく損害賠償請求」権、
民法415条に基づく債務不履行による損害賠償請求」権
そのものが実在しないのである。
つまり実体法説・旧訴訟物理論そのものが幻覚でしか
ないのである。







2 
実体法・人為法、したがって実体権は幻覚

「法律行為とは、意思表示を構成要素とし、その意思によって
欲せられたとおりの権利義務関係の設定・変動が生ずる行為
のことです。」
(早稲田経営出版「2018年版行政書士基本テキスト」)。
要するに、法律行為は、合意(法律と契約)を「権利義務関係を
設定・変動」させる規範としてでっち上げる、原理的トリックに
他ならない。
実体法とはこの法律行為トリックによって人為法(擬似規範)幻覚
化された合意(法律と契約)のこと。
そういう人為法(擬似規範)幻覚のこと。
資本主義人工市場似非社会化は抽象的観念的絶対的所有権
と契約絶対自由の原則を規定した人為法(擬似規範)化によって
行われる完全詐欺犯罪。
帰属所得再評価不当利得返還制度である累進課税制度の否定
拒絶は契約絶対自由の原則の論理的帰結だ。
「実体法上の権利」とは、「人為法(擬似規範)幻覚上の権利」のこと。
たとえば、売買契約に基づく土地建物引渡請求権、民法709条
(不法行為)に基づく損害賠償請求権のこと。
事実は、法規(法律)は人権擁し資し進歩向上を促すための方策
・制度を予め約す社会的合意。
契約は当該行為に係る人権擁し資し進歩向上を促すための方策
・制度を予め約す当事者間合意。
権利義務(たとえば、損害賠償請求債権債務)は、
全ての人が社会(国家)の中で他者と共に生きていく(健康で文化的
な生活を営んでいく)べし、という超法規社会規範(自然法)と
「自動車を運転していたAが、うっかり赤信号を見落として、
横断歩道を歩いているBに衝突して怪我をさせてしまった」
というような規範的に意味のある行為事実とを基に、
超法規社会規範(自然法)に適っている故の社会的な妥当性(正しさ)
として、超法規的に(自然法上の権利義務として)発生消滅する。
法律(法規)、たとえば民法709条、は、この自然法上の権利義務を
確認保障しているに過ぎない。
民法709条は、「不法行為に基づく損害賠償請求権」を規定した
人為法(擬似規範)ではなく、この自然法上の権利義務である
損害賠償請求債権債務を確認保障している社会的合意=法律
(法規)なのである。
所謂法定債権は、法(法律)定債権ではなく、法(自然法)定債権
債務なのである。
ちなみに、自然法上は、権利は他者から見れば義務であり、
権利だけ、義務だけ、一方的に存在することはあり得ない。
人が社会(国家)の中で他者と共に生きていく(健康で文化的
な生活を営んでいく)超法規的(自然法上の)権利である人権
も、同時に、生きていかなければならない義務として存在して
いる。
要するに、所謂実体法、すなわち人為法(擬似規範)はトリックに
よってでっち上げられた幻覚でしかなく、当然、「所謂実体法、
すなわち人為法(擬似規範)上の権利」も幻覚でしかない。
自由を人為法(擬似規範)上で人権と規定しても事実人権になる、
というようなことはあり得ない。
トリックででっち上げられたものが事実存在するようになる、という
ようなことはあり得ない。
訴訟物理論として「実体法説」つまり「人為法(擬似規範)幻覚説」が
破綻しているのはその証拠なのである。
請求権競合という問題は一切存在しえないのである。







3 則自然法人権擁護システム社会(国家)確認した
   憲法13条


図J―則自然法人権擁護システム社会(国家)確認した
   憲法13条








4 
人権と
  それを擁し資し進歩向上を促すための具体的権利義務


図I―人権と
   それを擁し資し進歩向上を促すための具体的権利義務


図I−2―人権を擁し資し進歩向上を促すための
    具体的権利義務


図I−3―全ての(合理性のある)具体的権利義務が
    人権を擁し資し進歩向上を促すための具体的権利義務



とすれば、
表面上形式上の訴訟物は
法規(法律)上確認保障された請求債権債務であった
としても、隠れたる真の訴訟物は
侵害損傷された補修回復されるべき人権だ、
と考えられてくる。
手術ミスによる人権の侵害阻害を
損害賠償金を支払わせることによって
補修回復する場合、
表面上形式上の訴訟物は
法規(法律)上確認保障された損害賠償請求債権債務だ
としても、隠れたる真の訴訟物は
侵害損傷された補修回復されるべき人権だ、
と考えられてくる。







5 
表面上の訴訟物
  人権護る具体的権利
   :真の訴訟物は侵害損傷人権


図P―表面上形式上の訴訟物と隠れたる真の訴訟物



図P−2―則自然法人権擁護システム社会の訴訟物



図P−3―則人為法資本主義似非社会での
     訴訟物



「民事訴訟による私益の保護にあたっては、
裁判所による法的判断になじむように、
特定した審判の対象を原告が提示しなければならない。
このような審判の対象を訴訟物と呼ぶ。
なお、民事訴訟法は訴訟物を指して「請求」という語を
用いることがあり(258T・259U・136など)、
従来審判の対象は「訴訟上の請求」とも呼ばれてきた。」
(上原敏夫=池田辰夫=山本和彦「民事訴訟法〔第4版〕」
有斐閣Sシリーズ40頁)


しかし、隠れたる真の訴訟物は
全て侵害損傷された人権である。
人権とは、人が社会の中で他者と共に
生きていく(健康で文化的な生活を営んで
いく)超法規的(自然法上の)権利(義務)の
ことだ
人権は私益ではない。
私益であると同時に公益だ。


権利義務の実体は、
超法規社会規範(自然法)に適っている故の
社会的な政策的な妥当性(正しさ)なのである。
損害賠償請求債権債務は、
民法709条、民法415条、道路交通法、
旅客運送契約、治療契約など
といった法律を踏まえた上で、
規範的に意味のある行為事実と
超法規社会(国家)規範(法・自然法)とを基に、
「法(自然法・超法規社会規範)上の損害賠償請求債権債務」として
一つ成立するのである。
この一つの「法(自然法・超法規社会(国家)規範)上の
損害賠償請求債権債務」が
表面上形式上の訴訟物なのである。
それは確認訴訟だって同じことだ。
その被告は、反訴状を出さなくとも、潜在的に反訴原告であり、
それは給付訴訟なのである。


しかし、この損害賠償請求債権債務は、
人権を回復させる手段権利義務として存在している。
したがって、この場合の隠れたる真の訴訟物は、
患者甲の人権である、と考えられてくる。


隠れたる真の訴訟物が
全て侵害損傷された人権である、という事実は
裁判制度も一種の社会補修復元制度であることを、
司法の目的が、行政と同様に、人権(そのもの)擁護である
ことを、教えている。
それは、この社会(国家)が、
則人為法(似非法律)絶対自由資本主義から解放された
則自然法暫定自由制度人権擁護システム社会(国家)
であることの帰結なのである。
国会、内閣、裁判所という狭義の国家は
人権(そのもの)擁護を専務とした社会(国家)の機関
なのである。


要するに、
訴訟上の請求とは、
侵害損傷された人権の補修回復を求める、
被難者たる原告(反訴原告)から国家(裁判所)に対する
請求のことである。
訴訟物は、
表面上形式上は、
当該人権侵害損傷を規範的に意味のある行為事実
として発生し、「存在する人権を擁し資す具体的権利義務」
である。
隠れたる真の訴訟物は、
「補修回復を求められている当該侵害損傷人権」である。







6 
人為法暗礁に乗り上げ破綻した訴訟物理論

従来の訴訟物理論は人為法暗礁に乗り上げ破綻している。


訴訟物とは何か、簡単には、次のように説明されている。
曰く。
「民事訴訟における審理・裁判の対象」が訴訟物で、
「『訴訟上の請求』と同じ意味で用いられることもあ」り、
また、「請求として主張されている権利または法律関係
自体を示すことも多い」。
「訴訟物の同一性を判断する基準」が問題とされ、
「伝統的には、
実体法上の権利関係が基準になるとされた(旧訴訟物理論)」。
「現在の実務もこの見解に従う。たとえば、
同一の社会的事実を基礎として金銭賠償を求める場合、
債務不履行の損害賠償請求権と
不法行為に基づく損害賠償請求権とでは、
たとえその金額が同一であっても訴訟物は異なる。」
(三省堂コンサイス法律学用語辞典)、と。


しかし、要するに、
人為法たる実体法上の「債務不履行の損害賠償請求権」
「不法行為に基づく損害賠償請求権」なるもの自体が、
実在しないのである。
損害賠償請求債権債務は、
侵害損傷された人権の補修回復の手段である。
同時に、そういう侵害損傷の発生の予防にも資する。
損害賠償請求債権債務は、
契約法・不法行為法という法律を踏まえた上で、
誤って人を轢いてしまった、医療過誤によって人を死なせてしまった、
というような規範的に意味のある行為事実と、
超法規社会規範意識・常識を基に、
超法規社会規範に適っているゆえの、
社会的な妥当性の意識として、観念され
自然法上の権利義務として発生する。


したがって、同一内容の請求権が競合して発生することは
絶対にあり得ない。
人為法たる実体法上の「債務不履行の損害賠償請求権」
「不法行為に基づく損害賠償請求権」というのは、
同様に、人為法たる実体法上の「所有権に基づく明渡し請求権」
「賃貸借終了に基づく明渡し請求権」というのは、
存在しない。
存在するのは、超法規社会(国家)規範=法(自然法)上の
「損害賠償請求債権債務」、「明渡し請求債権債務」である。
これは旧訴訟物理論が実質的な意味を持たない
無意味な「理論」(?)であることを意味しているに他ならない。


旧訴訟物理論を批判する「新訴訟物理論」「新実体法説」
曰く。

「新訴訟物理論 
1 総説
請求権又は形成権(形成原因)が競合する場合の
訴訟物の広がりと特定の基準(請求の同一性)について、
実定法秩序がただ1回の給付または形成しか認めない場合には、
複数の請求権又は形成権(形成原因)を包括する
特定の給付又は形成を求める法的地位を訴訟物とする見解。
訴えをもって主張された実体法上の権利をそのまま訴訟物とする
旧訴訟物理論との間で昭和30年代以降訴訟物論争が行なわれた。
2 新旧理論の対立の例示
旧理論によれば、
家屋の明渡し請求の際に、
請求原因として所有権に基づく明渡し請求権を主張するか、
これとは別個独立の実体法上の請求権である
賃貸借終了に基づく明渡し請求権を主張するかで
別個の訴訟物になるとされ、
同時に両方主張すれば請求の併合が生じるとされた(⇒選択的併合)。
これに対して新理論は、
同じ家屋の明渡しという原告の求める給付内容が同じである限り
訴訟物は単一であって、
個々の実体法上の請求権主張は
攻撃防御方法にしかすぎないとする。
したがって、
両請求権を別々の裁判所で主張することは
二重起訴の禁止に触れるし、
一方のみを主張して敗訴した場合には
他方の主張も既判力〔民訴114@〕によって許されなくなる。
このように新理論は、
給付訴訟・形成訴訟の機能に対応して既判力の客観的範囲を広げ、
紛争の1回的解決を目指すものである。」
(有斐閣法律学小事典第4版)、と。


「訴訟物論争
各実体権ごとに訴訟物を観念する旧訴訟物理論が
従来の通説であったが、
昭和30年代以降、
1回の訴訟で包括的な紛争解決を求めるために
実体権と訴訟物を切り離して、
従来よりも広い訴訟物を観念する新訴訟物理論が登場した。
両説の間で華々しい論争の後、
学説においては新説が多数説の地位を占めたが、
逆に実務では現在でも旧説が維持されたままである。
他方で、新説と旧説の対立を止揚する形で提唱されたのが、
新実体法説である。
これは、実体法説上の請求権概念を改め、
従来、請求権競合と考えられてきた場合も、
実体法上請求権を1個に統合する考え方である。
ただ、その統合の方法については、
いまだ明確な基準は示されていない。」
「@ 給付訴訟の訴訟物は、
原告が被告から一定の給付を求めることができる
法的地位であると解する(新訴訟物理論)。
実体法上の給付請求権ごとに訴訟物を考える旧訴訟物理論は、
給付訴訟を提起する原告の目的が
あくまで特定の物ないし金銭の給付判決(債務名義)を得る点にあり、
その法的根拠には無関心なのが通常であることを考えると、
妥当ではない。
よって、土地明渡請求訴訟では、
明渡しを求める1個の法的地位が訴訟物であり、
その根拠が所有権であるか、占有権であるか等により
訴訟物が分断されるものではない。
医療過誤等に基づく損害賠償の場合には、
その事故により一定額の損害賠償金を受領できる
法的地位が訴訟物であり、
不法行為に基づくのと債務不履行に基づくのとで
2個の訴訟物があるわけではない。
登記関係訴訟の訴訟物も
真正な登記名義を回復しうる法的地位であり、
移転登記請求と抹消登記請求で訴訟物を異にするものではない
(東京地判63.12.20判時1324.75〔26〕)。・・
A 確認訴訟の訴訟物 
確認訴訟の訴訟物は、
原告が主張する一定の権利または法律関係の存否である
(この点では訴訟物理論による対立はほとんどない)。
その権利等の取得・消滅原因事実ごとに
訴訟物を考える見解もあるが、
確認訴訟の目的および当事者の関心が権利関係の存否を
既判力によって確定し、
後の紛争を予防する点にあり、
その取得原因等は立証手段にすぎないので、
妥当とはいいがたい。
したがって、所有権確認訴訟では所有権の存否、
親子関係不存在確認訴訟では親子関係の存否、
遺言無効確認訴訟では遺言の効力の存否が訴訟物となる。・・
B 形成訴訟の訴訟物
形成訴訟の訴訟物は、
特定の権利または法律関係の変動を求めることができる
法的地位であると解する(新訴訟物理論)。
実体法所定の形成要件ごとに訴訟物を認める旧訴訟物理論もあるが、
このような訴訟の目的が権利関係の形成自体にあり、
訴え提起時に存在するすべての形成要件の主張を求めても
原告に酷とはいえないので、妥当ではない。
よって、離婚の訴えは、
民法770条1項各号のいずれを根拠としても訴訟物として1個であり、
株主総会決議に関する訴えについては、
特定決議の効力不存在という形成結果の同一性に基づき、
同一決議にかかる決議取消しの訴え、無効確認の訴え、
不存在確認の訴えはすべて1個の訴訟物と解される(争点57)。」
(上原敏夫=池田辰夫=山本和彦「民事訴訟法〔第4版〕」
有斐閣Sシリーズ41頁以下)、と。


 「1 新実体法説は、
訴訟法説に対する1つのアンチテーゼとして登場し、
実体法的な訴訟物の構成――
すなわち、実体法上の請求権の個数と訴訟物の個数とを
等置して考える――を指向している。
しかし、請求権競合の場合に、
複数の法的観点からみることのできる1つの実体法上の請求権がある
と解する点で旧実体法説と異なり、
旧実体法説の挫折した訴訟上の難点(特に、請求併合の場合)
を回避しようとしている。
『一法規の構成要件充足』→『一請求権の発生』という
プロセスを当然の前提とし、
『実体法上の請求権の主張』=『訴訟物』という
基本的図式に立脚する旧実体法説は、
まさに請求権競合の場合、
満足のいく結論を提示しえなかった。
そこに、訴訟法説定立の原因があった。
その批判は、請求権の本質の反省に伴い
もっぱら後者の図式に集中し、
純粋に訴訟的内容を持つ請求概念の定立が進められた。
これに対し、新実体法説は、
前者の問題つまり請求権規範と請求権との関係が
より根本的に検討されなければならないと認識する。
また、わが国の訴訟法説のように、
給付訴訟物を『相手から一定の給付を求め得る法律上の地位がある
との権利主張』、『受給権』とし、
実体法上の請求権を単なる法的観点に引きおろし、
訴訟物をなす実体法上の請求権のほかに
法的観点としての請求権を認める二重構造説をとる場合、
実体法上の請求権競合、非競合の問題は、
法的観点の面で依然として問題となり、
特に実在的権利の性質に関して、
単なる法的観点であるにせよ、
実体法上の別個独立の各請求権がその属性を
どのように流用しあうのかという問題をそのまま残すことになる。
そこで、やはり給付訴訟の場合にも、
原告に実体法上いかなる請求権が成立するかが
法的判断の中核をなすのであるから、
そうした判断の対象をなす訴訟物も
実体法上の請求権の主張のはずだという前提に立ちつつ、
むしろ実体法規と権利そのものを再検討するという方法が
考えられてきている。
これが、新実体法説とよばれるものであり、
従来の実体法理論の『一法規の構成要件の充足』
→『一請求権発生』という図式そのものの修正を試み、
『二重原因』→『一効果』という全く異なる論理構造に立脚する。」
(福冨哲也「訴訟物理論(3)」
《飯倉一郎編「演習ノート民事訴訟法全訂版」法学書院》
80頁以下)、と。


しかし、則人為法絶対自由資本主義人工市場似非社会という
幻覚の世界にとどまる限り、どんな小細工をしようが、
解決は不可能なことだ。







7 
表面上の訴訟物は
  損傷人権を補修回復させる手段請求債権債務


訴訟上の請求とは、
侵害損傷された人権の補修復元を求める、
被難者たる原告(反訴原告)からの国家(裁判所)に対する
請求のことである。
ないしは、
その補修回復を求められている侵害損傷された人権のこと
である。
しかし、表面上の訴訟物は、
侵害損傷された人権を補修回復せしめるための
手段請求債権債務である。


憲法32条は、「何人も、裁判所において
裁判を受ける権利を奪われない。」、と規定している。
民事裁判の場合も、国家(裁判所)は、
人権擁護を目的に存在しているのだから、
裁判の拒絶は許されない、というのが、本意である。
裁判は決して単なる紛争の解決が目的なのではない。


新訴訟物理論が何故多数説を占めるに至ったのだろうか。
言うまでもなく、それは、
「医療過誤等に基づく損害賠償の場合には、」
「不法行為に基づくのと債務不履行に基づくのとで
2個の訴訟物があるわけではない。」、
という結論が正しいからに違いない。
だが、この結論は、
「給付訴訟を提起する原告の目的が
あくまで特定の給付ないし金銭の給付判決(債務名義)を得る点にあり、
その法的根拠には無関心なのが通常であることを考える」、
それだけで出て来るものではない。
そもそも、裁判の目的は紛争の解決ではない。
法律の実質は全て、
人権擁護という一つの同じ目的を持った方策・制度である。
政策的な合理性に相応した超法規社会規範性がある。
したがって、同一内容の請求権が競合して発生することは、
有り得ない。
法律は人権を護るための方策であって、
人為的な法規範のように、
権利義務発生の根拠ないし構成要件を定めたものではないから、
である。


一体、権利義務の正体は何なのか。
そして、それはどのようにして発生ないし観念されるのだろうか。
この現実の社会には、
すべての人が、社会(国家)の中で、他者と共に、
生きていく(健康で文化的な生活を営んでいく)べし、
とする超法規社会規範=法(自然法)が実在している。
権利義務の実体は、
この超法規社会規範すなわち自然法に適っているゆえの、
社会的な妥当性ないしその意識のことである。
社会的な妥当性の意識と言っても、別に特別なものではなく、
社会常識とか公平と言われているものに他ならない。
誤って人のものを壊したら弁償(損害賠償)すべきであるとか、
他人の土地に勝手に産業廃棄物を投棄したら
除去(妨害排除)すべきである、
と考えるのが社会常識である。
もちろん、社会常識と言っても極めて曖昧なものである。
また、わざとやったのではないから弁償(損害賠償)する必要はない、
法律に規定されていないからその義務はない、
と言う人もいるだろう。
そういうことで惹起される人権の侵害損傷を防ぐために、
予め権利義務を確認保障しておくのが法律(憲法)の
基本的な役割なのだろう。
たとえば民法709条で確認保障しているのはそういう自然法上の
損害賠償請求債権債務だ。
「故意又は過失によって
他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した」
というのは、自然法上の損害賠償請求債権債務事実を発生
せしめる「規範的に意味のある行為事実」だ。


とすれば、こうなるだろう。
超法規社会規範と人権を護るための方策・制度
としての法律があるわけである。
そういう状況にあって、
誤って人の物を壊すとか他人の土地に
勝手に産業廃棄物を投棄する、という行為が起こされる。
この規範的な意味のある行為事実と、
法律を踏まえた上で、
超法規社会規範意識・常識とを基に、
損害賠償請求債権債務が、妨害排除請求債権債務が、
超法規社会規範に適っているゆえの、
社会的な政策的な妥当性ないしその意識として、
観念される・発生する、と。


ちなみに、たとえば、損害賠償請求債権債務は、
侵害損傷された人権を補修回復せしめるための手段、
である。
同時に、そういう侵害損傷の発生の予防にも資するのである。



8 
補修回復せしめる手段請求債権債務は超法規的に発生する
   自然法上の債権債務


ともあれ、現実に存在する権利義務は、そのように、
法(自然法)上の非観念的なものであるから、
一つの規範的な意味のある行為事実を基に、
同じ内容の請求債権債務が二つ発生することはありえない。


民法709条・同715条・医療契約・民法415条等の法律が
存在する状況下で、
医療過誤等によって人権の侵害損傷を惹起せしめた、
という規範的な意味のある行為事実と、
法律を踏まえた上で、
超法規社会規範意識・常識を基に、
損害賠償請求債権債務が、
超法規社会規範に適っているゆえの、
社会的な政策的な妥当性ないしその意識として、
一つだけ発生する。


要するに、表面上の訴訟物である
補修回復せしめるための手段請求債権債務は、
超法規的に発生する、
超法規社会(国家)規範=法(自然法)上の債権債務である。


新訴訟物理論は、
侵害損傷された人権(そのもの)の補修復元を求め得る、
法(自然法)上の地位に原告(反訴原告)がいる、
という事実ないしそういう状況にあることを法的地位と観念している、
とも考えられる。
とすれば、その根拠が不法行為法であるか、
契約法(債務不履行法)であるか、
という法的根拠ないし法的観点とは、
人権(そのもの)を守る方策たる法律のことを意味している、
はずである。
法律を人為的な法規範と考えることを、
少なくともこの場合には、止めているのかもしれない。
人権(そのもの)擁護方策たる法律は、
確かに、ある意味で、「攻撃防御方法にすぎない」。


「訴の利益」の実体は、
補修復元されるべき人権の侵害損傷、
という事実がある、ということである。
確認の訴に即して言えば、
自分が所有している土地を相手方がそれは俺のものだからよこせ、
とたびたび言って来る、というのが、
補修回復されるべき人権の侵害損傷である。
学問的な紛争そのものによっては、
国家がすべきような補修回復されるべき
人権の侵害損傷はない。
権利義務と分離された請求権など実在するものではない。
「請求権確認の訴えが訴えの利益を欠く」のは、
そのためである。


権利義務が存在することの確認は、
侵害損傷人権を補修回復せしめる
ための手段ないし前提条件である。
したがって、そのことは、
給付の訴えにおいても同じことであるはずである。
給付の訴えにおいても、
権利義務が存在することの確認は行なわれるのである。
ただ、違うのは、
たとえば、原告勝訴の場合、
支配ないし占有(所有権)は原告の所にある限り、
権利義務が存在することの確認によって、
侵害損傷人権の補修回復という裁判目的は、
実質的には終わったのも同然だ、ということである。


しかして、「給付の訴」も
そういう所有権(財産権)「確認の訴」なのであり、
両者の違いは、
普通ないし定型的に言って、
給付すなわち国家の手による占有(所有権)の移転
という事実行為を伴わなかったら、
裁判目的を達成し得ない場合であるか否か、
といういわゆる執行力の有無の違いしかない。
つまり、「給付の訴」は、
普通定型的に執行力を必要としている場合を、
しからざる「確認の訴」と国家目的遂行上、
便宜別建てにしたものである、と考えられてくる。


婚姻は、多数の権利義務から成り立っている。
したがって、離婚の裁判は、
婚姻が実質的に破綻していることによって、
既にそういう多数の権利義務が消滅しているにもかかわらず、
それらを強制されることによって惹起される、
人権侵害阻害の補修回復を、目的としている。


民法770条に配偶者の不貞行為が離婚原因として挙げられているが、
ここでの不貞行為は、
多数の人権侵害損傷が存在することの証拠である。
離婚の訴えの実体は、
婚姻が実質的に破綻していることによって、
そういう行為事実によって消滅し、存在していない、
多数の権利義務の不存在の確認を求めるものに他ならない。
したがって、離婚の訴すなわち形成の訴も、
給付の訴・確認の訴と本質的な違いはない。


離婚の訴えの場合、多数の権利義務の不存在の確認である。
したがって、それは、
不貞行為等の婚姻を継続し難い重大な事由によって発生するとしても、
そういう事実が存在しているか否か、疑問の余地があり、
かつ、それは複雑なものである。
そういう債権債務が発生し存在しているか否か、
疑問の余地があり、
かつ、それも単一ではなく比較的複雑なものである、
という場合等に、
その存否を国家(裁判所)に確認させる、という制度には、
合理性がある。



9 
既判力は損傷人権が
   裁判の結果補修回復された帰結


裁判の蒸し返しを禁ずる「既判力」は、
裁判があった結果として、
侵害・損傷された人権が補修回復されたであろうこと、
つまり訴えの利益がないことが、推定されることから出て来る、
訴訟法上の帰結である。


判決の基礎資料の収集・提出を
当事者側の責任とする原則たる弁論主義は、
裁判所(国家)による勝手な適当な裁判によって、
侵害阻害人権の補修回復という裁判目的が
ないがしろにされること、
を防ぐことを目的とした政策的な制度である。


現実の裁判では、裁判の拒絶を実態とする「和解」が
想像以上に多用されているが、
「裁判上の和解」制度は、
裁判の限界を無視した形式的な裁判が行なわれることによって、
惹起される、人権侵害損傷の予防を目的とした
政策的な制度である。



資本主義とは、
絶対不可侵の所有権と自由意思を前提とした契約絶対自由
の原則ないし私的自治の原則を、
これまた自由意思を前提とした人為的法規範を以って
守って行こうとする妄想のことである。
人為的法規範を観念する限り、
「実体法」は権利義務発生の根拠であり、
権利義務発生の構成要件を規定したものだ、ということになる。
したがって、「法律要件事実あるごとに権利あり」ということになり、
「一法規の構成要件の充足」→「一請求権の発生」というのは、
論理的な帰結に他ならない。
それは、決して「旧実体法説」がどうのこうのといった問題ではない。
法ないし法律を人為的な法規範と観念した結果の
論理的な帰結なのである。
請求権競合ということが有り得る、というのは、
人為法を観念した場合の論理的な帰結なのである。
「各実体権ごとに訴訟物を観念する」ことは、
法ないし法律を人為的な法規範であると考えた場合の、
論理的な帰結なのである。


逆に言えば、「請求権競合の場合、
選択的併合というテクニックを用いて
二重判決の不都合を回避しようとする」旧実体法説も、
「『一法規の構成要件充足』→『一請求権の発生』という
図式そのものの修正を試み、
『二重原因』→『一効果』という全く異なる論理構造に立脚する」
新実体法説も、
「実体法秩序がただ1回の給付又は形成しか認めない場合には、
複数の請求権又は形成権(形成原因)を包括する
特定の給付又は形成を求める法的地位を訴訟物とする」
新訴訟物理論も、
法ないし法律を人為的な法規範であると考える妄想とは、
多かれ少なかれ相容れない、ということである。



        




       社会保険労務士
      特定行政書士
      ワークスタイルコーディネーター
      則自然法人権擁護システム社会研究家
          岩崎 秀政