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契約暫定自由の原則人権擁護システム法律制度の一環


第四部 
  第3章


 契約暫定自由の原則
  人権擁護システム
  法律制度の一環


 ――法規(法律)は
   人権擁する、資する方策・制度約す
   社会的合意であり、社会規範ではない







幻覚国家絶対自由資本主義似非社会化は、
事前規制→暫定自由→事後補修復元一体・一環を成す
暫定自由制度を分断し破壊し、
中間項の暫定自由を絶対自由としてでっち上げることによって
行われる。
法律制度の方も、
一体・一環を成す法律制度を分断し破壊し、
法規(法律)と契約(約款)を別個の制度と観念させた上で、
契約絶対自由の原則、より一般的なのは私的自治の原則を
でっち上げることによって行われる。

高法規(憲法)と法規(法律)と約款・契約は人権(そのもの)
擁護システムとして一体・一環を成すものだ。
当事者間契約は人権(そのもの)擁護システムたる法律制度
の一環として存在する。
決め手を欠く所では当事者の意思を原則的に尊重することが
合理的である故、契約暫定自由の原則をそこに観念しえない
ことはない。
それはさておき、たとえ契約暫定自由の原則として観念した
としても、これは、幻覚国家絶対自由資本主義人工市場似非
社会化犯罪のために考え出された詐術であり幻覚でしかない
契約絶対自由の原則(私的自治の原則)とは全くの別物である。






1 (幻覚国家
   絶対自由資本主義似非社会化トリック
   の仕組み
)
2 (契約絶対自由の原則
   幻覚でありその修正もあり得ない
)
3 (法律制度の一環たる契約暫定自由の原則
   の修正・例外と見るのが真意
)
4 (人権(そのもの)擁護システム法律制度
   の一環たる
   契約暫定自由の原則
)






1 (
幻覚国家
   絶対自由資本主義似非社会化トリック
   の仕組み
)

社会(国家)は、
生きていく、という絶対的な目的を持った、だが、
一人では生きていけない生き物である
人間が、生きていくために組織されたものだ。


図H―人権擁護システム社会(国家)生成図
図H―人権擁護システム社会(国家)生成図


それ故、たとえ幻覚国家絶対自由資本主義似非社会化
によって、どんなに歪められても、
絶対自由資本主義似非社会に転化する、ということは
あり得ない。


図Z―絶対自由資本主義を原理とした社会
       あり得ない




では、幻覚国家絶対自由資本主義人工市場似非社会化は
どのような詐術・手品を弄して行われるのだろうか。


それは、こうだろう。
人権(そのもの)は、
法規(法律)・契約を作って人権(そのもの)擁護していく法律
制度と
事前規制→暫定自由→事後補修復元の暫定自由制度とに
よって守られる。

図K―則自然法
     人権擁護システム社会(国家)原理図



法律制度は、法規(法律)・契約を作って人権(そのもの)を
守って行こう、という人権(そのもの)擁護システムだ。


図M―法規(法律)も契約も
    法律制度=人権擁護システムの一環としてある



最高法規(憲法)と法規(法律)と約款・契約は人権(そのもの)
擁護システムとして一体・一環を成すものだ。


結局、
幻覚国家絶対自由資本主義似非社会化は、
事前規制→暫定自由→事後補修復元一体・一環を成す
暫定自由制度を分断し破壊し、
中間項の暫定自由を絶対自由としてでっち上げることによって
行われる。
法律制度の方も、
一体・一環を成す法律制度を分断し破壊し、
法規(法律)と契約(約款)を別個の制度と観念させた上で、
契約絶対自由の原則、より一般的なのは私的自治の原則を
でっち上げることによって行われる。





2 (
契約絶対自由の原則幻覚であり
   その修正もあり得ない
)

確かに、行政法学者や労働法学者は、行政規制や労働規制を
契約絶対自由の原則(私的自治の原則)の「修正」ないし「例外」
として説明してきた。
しかし、私的自治の原則(契約絶対自由の原則)は幻覚国家絶対
自由資本主義人工市場似非社会化犯罪のために考えだされた
詐術であり、幻覚でしかない。
当然、その「修正」・「例外」というのもあり得ない。
「「契約の自由」とは、誰とどのような内容の契約を締結するか、
しないかは、当事者の自由にまかされているというものです。」
と言う。
しかし、カネがあれば、の話だが、何をどこの誰から買うか買わ
ないか、入れれば、の話だが、どこの会社に入るか入らないか、
自由だ。
だが、それは、人は社会(国家)に生まれながらにして人権(その
もの)を持っているからだ。


すべての社(国)民は、社会(国家)の中で、他者と共に、
健康で文化的な生活を営むべく自由に生きていく超法規的権利
(義務)=人権(そのもの)を、
社会(国家)に生まれながらにして持っている。
社(国)民が個々人として人権(そのもの)を全うするための法規
(法律)の総体が民法だ。
カネがあれば、の話だが、何をどこの誰から買うか買わないか、
入れれば、の話だが、どこの会社に入るか入らないか、自由
なのは、人権(そのもの)ある故であって、私的自治の原則(契約
絶対自由の原則)幻覚ある故ではない。
民法で説かれている法律行為論幻覚の真意は、
人権(そのもの)擁護システムたる法律制度論だ、と考えられる。
法律(法規)は、人権(そのもの)擁護方策・制度を約す社会的契約
なのである。
契約は人権(そのもの)を守るための方策を約する当事者間契約
なのである。
法規(法律)・契約を作って人権(そのもの)を擁護していく、
人権(そのもの)擁護システムが法律制度なのである。


要するに、労働法(労働基準法・労働契約法など)は、
労働者の最低限度の人権(そのもの)=生存権の擁護をし、
以て公共の福祉に資することを目的とした法規(法律)だ、
と考えられる。
とすると、当然、労働法も民法の一部だ、ということになる。
行政法は、人権(そのもの)擁護を専務とする社会(国家)の機関が
その業務を全うするための法規(法律)の総体である、
と考えられる。
則法(自然法)人権(そのもの)擁護システム社会(国家)にある
フレームは、法規(法律)・契約を作って人権(そのもの)を擁護
していく、という法律制度と暫定自由制度だ。


要するに、事実は、
行政法学者や労働法学者は、行政規制や労働規制を
契約絶対自由の原則(私的自治の原則)の「修正」ないし「例外」
として説明してきたのではなく、
人権(そのもの)擁護システムたる法律制度の一環として存在する
契約暫定自由の原則の「修正」ないし「例外」として説明してきたに
違いないのである。





3 (
法律制度の一環たる契約暫定自由の原則
   の修正・例外と見るのが真意
)

私的自治の原則(契約絶対自由の原則)は幻覚国家絶対自由
資本主義人工市場似非社会化犯罪のために考えだされた
詐術であり、幻覚でしかない。
当然、その「修正」・「例外」というのもあり得ない。
だが、行政法学者や労働法学者は、行政規制や労働規制を
契約絶対自由の原則(私的自治の原則)の「修正」ないし「例外」
として説明してきた。


例えば、大内伸哉教授は、
「労基法には、民法上の「契約の自由」の原則の例外を定
める、という性格があるのです。」、と言っている。
曰く。
❶ 最もポピュラーな労働法
労働法という法分野における代表的な法律を一つあげるよう
求められると、多くの人は、労基法をあげるでしょう。・・・
では、労基法は、どうして、それほどポピュラーなのでしょうか。
それは労基法には、働く人みんなに関係する重要な法的ルール
が定められているからです。
たとえば、労基法には次のような規定があります。
国籍や信条により労働条件について差別をしてはならない(3条)、
女性であることを理由とする賃金差別をしてはならない(4条)、
使用者が解雇をする場合には30日の予告か、それに変わる
手当(予告手当)を支払わなければならない(24条)、1日の労働
時間の上限は8時間である(32条)、労働時間の途中に休憩を
付与しなければならない(34条)、1週に1日は休日としなければ
ならない(35条)、一定の期間きちんと働くと年次有給休暇を
取得できる(39条)、出産後の女性労働者を働かせてはならない
(65条)、使用者は就業規則を作成し、それを労働基準監督署長に
届出なければならない(89条)など、です。
これらの規定は、労基法が制定されたとき、すなわち1947(昭和
22)年からすでにあったものです。
その後、労基法は、今日に至るまで、多くの改正を経験しながらも、
労働者を保護するための基本法としての地位をもち続けています。
ところで、労基法は、戦後、卒然と現れた法律ではありません。
たしかに、形式的には、戦後制定された憲法の「賃金、就業時間、
休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める」
という規定(27条2項)にもとづく法律という位置づけになりますし、
労基法制定は、ほぼ平行して制定作業が進められていた日本国
憲法の影響を受けていたことは事実です。
しかし、労基法の原型は、すでに1911(明治44)年に制定された
工場法にありました。
工場法は、労基法とは違いすべての労働者に適用されるものでは
ありませんでしたが、婦女子に対する最長労働時間規制、深夜労働
時間の禁止、休日の保障などが定められていましたし、1915(大正
5)年の工場法施行令では、労働補償、職工名簿の調製義務、賃金
の通貨払いや毎月1回以上払いの義務、違約金や損害賠償額の
予定の禁止、貯蓄金管理の規制、児童労働の規制、就業規則の
作成・届出義務などが定められていました。
これらの規定は、そのまま現在の労基法にほぼ引き継がれて
います。
労基法は、その前身の工場法も含めると、100年の歴史が
あるのです。

❷ 労基法の特徴
労基法は、・・・労働者を保護するための法律なのですが、
では、具体的にどのような方法で労働者を保護しているのでしょうか。
労基法の核心的な内容は、使用者に対して、労働者の保護のために
一定の労働条件の基準を遵守するように義務づけている点にあります。
先ほど列挙したものは、そのなかの一部です。
この労働条件の基準に違反した場合には、罰則を適用すると
されていること(117条以下)も重要な点です。
労基法に故意に違反するのは、犯罪行為となるのです。
実際、いわゆるサービス残業(労基法37条等に違反する行為)を
させていた使用者(労基法10条)が、労基法違反で摘発され、
送検されたというニュースなどをときどき聞くことがあります。
また、労基法には、その遵守をチェックする専門の行政機関で
ある労働基準監督署があることもまた重要な点です。
労働基準監督官は、行政官として、臨検や尋問等の強制的な
権限をもちますし(101条)、司法警察官(司法警察員)としての
職務をおこなうこともできます(102条)。
労働基準監督署に睨まれると大変であると思っている使用者は
少なくないでしょう。
この「睨み」によって、使用者に法律を遵守させるのです。
このように労基法は、使用者にたんに一定の労働条件の基準を
遵守するよう求めるだけでなく、それが実際に遵守されるように
するために、罰則の適用や行政監督というような権力的手段を
用いている点に大きな特徴があります(労基法の公法的側面)。
その一方で、労基法には、労働契約の内容を規律するという面
もあります(労基法の私法的側面)。
この面では、労基法には、民法上の「契約の自由」の原則の
例外を定めるという性格があるのです。
このことを敷衍すると、次のようになります。
「契約の自由」とは、誰とどのような内容の契約を締結するか、
しないかは、当事者の自由にまかされているというものです。
これは民法上、具体的に規定があるわけではありませんが、
当然の原則と解されています。
「契約の自由」の原則によると、当事者が自由な立場で締結した
契約の内容には、当事者は当然、従わなければならないことに
なります。
「契約は守らなければならない」というのもまた法の基本原則です。
ところが、当事者の自由な契約にまかせていると、不都合が生じる
こともあります。
当事者の力関係に圧倒的な格差(たとえば、情報格差やそれに
起因する交渉力格差)があるときに、自由な契約という名の下に、
力関係で優位に立つ者が、相手に対して都合のよい内容を押し
つけてしまう可能性があるのです。
労働契約とは、そのような危険をはらむ契約の典型とされて
いるのです。
そこで、労働契約については、「契約の自由」の原則をそのまま
みとめることはせず、労基法によって、これ以上引き下げては
ならない最低ラインが設定されているのです。
労基法は、労働条件は、労働者と使用者が、対等の立場において
決定すべき(2条1項)、と謳っていますが、実際には、対等に労働
条件を交渉して決定できる状況にはない(これを、労働者の従属性
と言ったりもします)ので、法がパターナリスティックに(後見的に)
介入しているのです。
労基法の定める労働条件の基準が最低ラインであることを明確に
示したのが、同法13条の規定です。
この規定は、使用者と労働者が労働契約を締結して定めた契約
内容(労働条件)が、労基法の定める基準を下回っている場合には
無効となり、労基法が基準として定めている労働条件が適用される、
と定めています。
こうして、私たちが労働契約にもとづき働くときには、誰でも、
労基法の定める基準のラインまでは労働条件が保障されることに
なるわけです。
労基法が、労働者を保護するための法律であるといわれるのは、
そのためです。」
(大内伸哉
「歴史からみた労働法」日本法令16頁以下)、と。


「契約の自由」の原則の「例外だと言う。
しかし、私的自治の原則(契約絶対自由の原則)は幻覚国家絶対
自由資本主義人工市場似非社会化犯罪のために考えだされた
詐術であり、幻覚でしかない。
当然、その「修正」・「例外」というのもあり得ない。
「「契約の自由」とは、誰とどのような内容の契約を締結するか、
しないかは、当事者の自由にまかされているというものです。」
と言う。
しかし、カネがあれば、の話だが、何をどこの誰から買うか買わ
ないか、入れれば、の話だが、どこの会社に入るか入らないか、
自由だ。
だが、それは、人は社会(国家)に生まれながらにして人権(その
もの)を持っているからだ。
契約は人権(そのもの)を守るための方策を約する当事者間契約
だ。
法規(法律)・契約を作って人権(そのもの)を擁護していく、
人権(そのもの)擁護システムが法律制度だ。


当事者間契約は人権(そのもの)擁護システムたる法律制度
の一環として存在する。
決め手を欠く所では当事者の意思を原則的に尊重することが
合理的である故、契約暫定自由の原則をそこに観念しえない
ことはない。
それはさておき、たとえ契約暫定自由の原則として観念した
としても、これは、幻覚国家絶対自由資本主義人工市場似非
社会化犯罪のために考え出された詐術であり幻覚でしかない
契約絶対自由の原則(私的自治の原則)とは全くの別物である。
それはともあれ、要するに、事実は、
行政法学者や労働法学者は、行政規制や労働規制を
契約絶対自由の原則(私的自治の原則)の「修正」ないし「例外」
として説明してきたのではなく、
人権(そのもの)擁護システムたる法律制度の一環として存在する
契約暫定自由の原則の「修正」ないし「例外」として説明してきたに
違いないのである。
それが彼らの真意に違いないのである。


要するに、労働法(労働基準法・労働契約法など)は、
労働者の最低限度の人権(そのもの)=生存権の擁護をし、
以て公共の福祉に資することを目的とした法規(法律)だ、
と考えられる。
そこにあるフレームは、法規(法律)・契約を作って人権(その
もの)を擁護していく、という法律制度と暫定自由制度だ。





4 (
人権(そのもの)擁護システム法律制度
   の一環たる
   契約暫定自由の原則
)

私的自治の原則(契約絶対自由の原則)は幻覚国家絶対自由
資本主義人工市場似非社会化犯罪のために考えだされた
詐術であり、幻覚でしかない。
だが、それらしき事実があるのも、また、事実である。
それは、法規(法律)・契約を作って人権(そのもの)を擁護
していくシステム、即ち法律制度である。
戦後の、今の、日本国憲法は、法規(法律)・契約を作って
人権(そのもの)を擁護していく社会(国家)を約した社会的契約
である。
法規(法律)は人権(そのもの)を守るための方策・制度を約する
社会的契約だ。
契約も人権(そのもの)を守るための方策を約する当事者間契約
だ。
法規(法律)・契約は超法規社会規範=法(自然法)に照らしての
合理性に相応した超法規社会規範性がある。


当事者間契約は人権(そのもの)擁護システムたる法律制度
の一環として存在する。
決め手を欠く所では当事者の意思を原則的に尊重することが
合理的である故、契約暫定自由の原則をそこに観念しえない
ことはない。
それはさておき、たとえ契約暫定自由の原則として観念した
としても、これは、幻覚国家絶対自由資本主義人工市場似非
社会化犯罪のために考え出された詐術であり幻覚でしかない
契約絶対自由の原則(私的自治の原則)とは全くの別物である。
それはともあれ、要するに、事実は、
行政法学者や労働法学者は、行政規制や労働規制を
契約絶対自由の原則(私的自治の原則)の「修正」ないし「例外」
として説明してきたのではなく、
人権(そのもの)擁護システムたる法律制度の一環として存在する
契約暫定自由の原則の「修正」ないし「例外」として説明してきたに
違いないのである。
それが彼らの真意に違いないのである。


労働法(労働基準法・労働契約法など)は、
労働者の最低限度の人権(そのもの)=生存権の擁護をし、
以て公共の福祉に資することを目的とした法規(法律)だ。
そこにあるフレームは、法規(法律)・契約を作って人権(その
もの)を擁護していく、という法律制度と暫定自由制度だ。


図L―4 生存権=最低限度の人権
      故の四役性

図L-4―生存権=最低限度の人権故の四役性


図M―4―法規は
      憲法・暫定自由制度法・事後補修復元法に
      分類すべき?