現代則自然法人権擁護社会的分業制度社会論
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(第U編 絶対自由資本主義を原理原則とした社会あり得ない)



神の見えざる手が創った人権擁護暫定自由制度社会、戦後日本
                          
 (写真は千葉県九十九里浜北端)

第七部 

神の見えざる手が創った
 
人権擁護暫定自由制度社会
    戦後日本

  ――資本主義犯罪社会行き詰まりの結果の
    戦争という大きな犠牲を払って





人が、社会(国家)の中で、他者と共に、
健康で文化的な生活を営むべく自由に生きていく、
超法規的権利義務が人権(そのもの)だ。
自由に少なからずの規制があること、
一応まともな社会保障制度があること、
所得税・相続税が基本的には累進課税制度になっていること、
という事実を素直に受け止めれば、
戦後の日本社会(国家)が、
則法(自然法)人権(そのもの)擁護暫定自由動的平衡制度組織
人間社会(国家)であることは、自明だ。
人間社会(国家)はマーケット(市場)ではない。
確かに
「近代国家の憲法は、営業活動の自由を保障しているが、
もちろん、公共の安全や公衆衛生などのリスクをもたらす
営業活動については、許認可を要するとされるなど、
一定の制約が課されることになる。」(山田洋)。
規制は人権(そのもの)を守る方策だ。
当然、環境や労働規制は多いはずだ。
健康で文化的な生活の形は流動的発展的なものであり、
決して、予めきちっと決められた形で存在している、
というものではない。
自由は、人が、健康で文化的な生活を営むべく生きていく、
手段として、暫定自由として、存在している。
実際、
暫定自由原則の結果もたらされる社会(国家)の歪み・綻びは、
事後的に、
「社会保障制度などの生活基盤保障制度と累進課税制度が
一体となった
帰属所得再評価・不当利得返還・社会(国家)補修復元制度」
を以て
是正ないし補修復元される。
勿論、その執行の任に直接当たるのは、社会(国家)制度組織の
執行部(国会・内閣(政府))だ。
今、生活保護の受給者は163万世帯216万人を超えている
(2015年7月現在、厚生労働省公表速報値)。
社会保障制度がなかったら、社会(国家)は崩壊する。
社会保障制度は、社会(国家)補修復元制度なのである。
法(自然法)に則った、
則法(自然法)暫定自由人権(そのもの)擁護制度組織が、
戦後の日本社会(国家)だ。
それは、則人為法資本主義自由主義国家主義の成れの果て
である戦争という大きな犠牲を払ってはじめて実現した、
普遍的な人間社会(国家)の形だ。




                        

        目  次


第1章

 すべての人が健康で文化的な生活を営むべく
 自由に生きていく社会 概略

 (從法人権擁護暫定自由動的平衡制度社会とは何か)



第2章

 修正資本(自由)主義社会は
 從法(自然法)人権(そのもの)擁護暫定自由
 動的平衡制度社会(国家)の誤称

 (修正資本(自由)主義とは何か)
1  (修正資本(自由)主義社会(国家)は
   從法(自然法)人権(そのもの)擁護暫定自由
   動的平衡制度社会(国家)の誤称
)
2  (社会(国家)組織せしめたのは(本物の)神の見えざる手)
3  (從法(自然法)人権(そのもの)擁護制度社会(国家)での自由は
   暫定自由であり手段
)
4  (絶対自由は
   欠落才覚人天下人工市場似非社会・国家主義
   騙し込みのための詐術
)
5  (隠蔽されている
   從法(自然法)人権(そのもの)擁護
   暫定自由動的平衡制度社会(国家)
)
6  (二段構えの
   從法(自然法)人権(そのもの)擁護暫定自由
   動的平衡制度社会(国家)
)
7  (累進課税制度は社会基盤保障制度と連結一体の
   帰属所得再評価・不当利得返還・社会(国家)補修復元制度
)
8  (規制撤廃と累進課税弱化によって社会(国家)は壊される)
9  (規制と累進課税の強化によって社会(国家)は補修復元される)
10 (すべての制度・権利義務の出自は
   超法規社会(国家)規範(自然法)感覚=(本物の)神の見えざる手
)
11 (戦後の日本は「資本主義の国」ではない)
12 (心底から
   欠落才覚人天下人工市場似非社会・国家主義を
   原理原則とした社会(国家)あり得ない
)


第3章

 所得再分配制度は
 生活基盤保障制度と累進課税制度連結一体の
 帰属所得再評価・社会(国家)補修復元制度の誤称

 
(暫定自由制度社会(国家)とは何か)
1 (絶対自由を暫定自由制度に「修正」するのが
   修正資本主義
)
2 (「市場の失敗」なのではなく
   暫定自由制度の結果もたらされる
   社会の歪み・綻び
)
3 (所得再分配制度は
  生活基盤保障制度と累進課税制度と連結一体の
  帰属所得再評価・社会(国家)補修復元制度の誤称
)
4 (普遍的価値の自由は
  絶対自由ではなく暫定自由(制度)
)
5 (累進課税制度は
  生活基盤保障制度と連結一体の
  帰属所得再評価・社会(国家)補修復元制度
)
6 (社会保障制度は
  累進課税制度と連結一体の
  帰属所得再評価・社会(国家)補修復元制度
)





                       





第1章

 
すべての人が
  健康で文化的な生活を営むべく
    自由に生きていく社会
 概略

   (從法人権擁護暫定自由動的平衡制度社会とは何か) 



図16−則法(自然法)暫定自由制度
     人権(そのもの)擁護社会(国家)図


則法(自然法)暫定自由制度人権(そのもの)擁護社会(国家)図



すべての人が、社会(国家)の中で、他者とともに、
健康で文化的な生活を営むべく自由に生きていく、
從法(自然法)人権(そのもの)擁護暫定自由
動的平衡制度組織

戦後の日本社会(国家)だ。


人間の頭脳は、生きていく、という目的を持っている。
この人間の頭脳が
(本物の)神の見えざる手の正体だ。
したがって、人間を取り巻く外界の事象は、
単なる事実なのではなく、
規範的な意味合いを持ったものとして、存在している。
その外界は、といえば、勿論、それは、
人間が一人で生きていくには、余りに過酷である。
人間は、生きていくために、一人でではなく、
社会(国家)を組織して、みんなで生きていく以外に、
道はない。
社会(国家)は、生きていくための共同体として発明された、
社会(国家)的な仕組み・制度組織だ。


勿論、
人が生きていく、ということは、
単に糊口をしのぐ、ということではなく、
すべての人が、社会(国家)の中で、他者とともに、
健康で文化的な生活を営むべく自由に生きていく、
ということだ。
したがって、
人間社会(国家)の
正義(公平)とは、
すべての人が、社会(国家)の中で、他者とともに、
健康で文化的な生活を営むべく、自由に生きている
状態にあること、だ。
法(自然法)とは、
すべての人が、社会(国家)の中で、他者とともに、
健康で文化的な生活を営むべく自由に生きていくべし、
という超法規社会(国家)規範のことだ。
モラル(道徳)、健全な常識といってもいい。
人が、社会(国家)の中で、他者とともに、
健康で文化的な生活を営むべく自由に生きていく
超法規的権利が
人権(そのもの)だ。
人権(そのもの)とは、
法(自然法)を個々人サイドから捉えたのに他ならない。
人権(そのもの)は基本的人権のことではない。
人権(そのもの)は基本的人権の前提に存在している。
しかして、
正義(公平)感・法(自然法)感覚・人権(そのもの)感覚が
(本物の)神の見えざる手だ、といってもいい。
從法(自然法)人権(そのもの)擁護動的平衡システム組織を
創ったのも、この(本物の)神の見えざる手だ。


それは、こういうシステムになっている。
まず、
人々の自由勝手とすることが明らかに反正義・反法(自然法)である
ことが予め判然としている事柄については、
しっかりと規制をする。
人権(そのもの)を侵害阻害することが予め判然としている事は
事前にきちんと規制する。

実際、環境や労働規制は多い。
それ以外は取りあえず暫定的に自由とする。
事前には、それ以外は、自由なり市場原理の合理性・妥当性を推定し、
暫定自由を原則とする。
つまり、所有権絶対自由の原則、契約絶対自由の原則、自己責任
絶対の原則ではなく、
所有権暫定自由の原則、契約暫定自由の原則、暫定自己責任の原則だ。
暫定自由制度は、
すべての人が、社会(国家)の中で、他者と共に、
健康で文化的な生活を営むべく自由に生きていくための、
手段に違いない。
それは、健康で文化的な生活の形は流動的発展的なものであり、
予めきちっと決められて存在しているものではないからだ。


事後的に、
暫定自由なり暫定市場原理の行き過ぎによって壊された社会(国家)を、

暫定自由原則の結果もたらされる社会(国家)の歪み・綻びは、
事後的に、
「社会保障制度などの生活基盤保障制度と累進課税制度一体の
帰属所得再評価・不当利得返還・社会(国家)補修復元制度」を以て
是正ないし補修復元する。
勿論、その執行の任に直接当たるのは、社会(国家)制度組織の
執行部(国会・内閣(政府))だ。

法(自然法)に則った、
暫定自由制度を以て人権(そのもの)を守る、
則法(自然法)暫定自由人権(そのもの)擁護制度組織
が、
戦後の日本社会(国家)だ。


要するに、それは、社会(国家)そのものが、
社会的仕組みでの生活基盤保障制度組織=生きるための共同体
をなしている、
ということに他ならない。
手段にして暫定的存在である自由を事前原則とし、
事後的に判然としてきた行き過ぎを補修し社会(国家)を復元する、
その論理構造は、
修正資本(自由)主義と錯覚させてきた。
そのため、修正資本(自由)主義社会(国家)と誤称されてきたが、
人類の普遍的な社会(国家)に間違いない。
要するに、
戦後の日本は、自由主義でやってきた、資本主義でやってきた、
というのは、真っ赤な嘘なのである。


だが、(本物の)神の見えざる手によって創られた故、
社会(国家)に名称もなければ、法律学に確たる理論もないのが、
実情だ。
ここに付け込んだのが、近代経済学者たちだ。
実際、近代経済学の正体は、詐称自由(資本)主義欠落才覚人
天下人工市場似非社会・国家学以外の何物でもない。
それは、
欠落才覚人たちが限りなく豊かになることを可能にした仕様の
人工市場社会・国家だ。
トリックは、
架空のアダム・スミスの見えざる手を措定する詐術による
自由・自由放任の絶対(正義)化
だ。
だが、自由が絶対(正義)化された、
自由に規制のない、税はフラットな一律課税の、
それ故社会保障制度もない、
人工市場社会・国家は、人が住めない似非社会・国家だ。
強欲と非情がこうじた結果の妄想・幻覚だ。
欠落才覚人たちが限りなく豊かになることを夢見た妄想・幻覚だ。
詐称自由(資本)主義欠落才覚人天下人工市場似非社会・国家主義を
原理原則とした社会などあり得ない。
彼らが景気対策と称しては主張する規制緩和と累進課税の弱化は、
景気をかえって悪化させ、社会(国家)を破壊するのが落ちだ。
度を越した格差社会(国家)がいけないのは、
度を越した格差は、
社会(国家)が、詐称自由(資本)主義欠落才覚人天下
人工市場似非社会(国家)主義によって歪められてしまった、
証拠以外の何物でもないから、だ。


資本(自由)主義は、
所有権と自由と契約と法律と国家が、
絶対(正義・公平)と擬制された、
規制(とくに労働規制)と累進課税制度が撤廃ないし弱化された、
欠落才覚人たちが限りなく豊かになることを可能にした、
欠落才覚人天下人工市場似非社会・国家主義の詐称であり、
心底そんな犯罪思想を原理原則とした社会(国家)など
あり得ない。
それは、社会(国家)を歪曲し破壊し人工市場似非社会化し乗っ取る、
犯罪思想でしかない。
詐称資本(自由)主義人工市場社会は、似非社会(国家)であって
社会(国家)ではない。


要するに、
現実の社会(国家)は、
詐称自由(資本)主義欠落才覚人天下人工市場似非社会・国家主義
によって歪められた、
從法(自然法)人権(そのもの)擁護動的平衡システム組織
だ。
とすれば、
今一番大切なことは、
所有権も自由も契約も法律(広義の)も、
経済も景気も資本も市場メカニズムも分業も競争もGDPも、
社会(国家)でさえも、執行部(国会・内閣(政府))制度さえも、
民主主義さえも、
「すべての人が、社会(国家)の中で他者と共に、
健康で文化的な生活を営むべく自由に生きていくため」の
手段であること、手段でしかない、という厳然たる事実を、
すべての人が知ることだ、
手段にして暫定的存在である自由は、
(本物の)神の見えざる手の発現を阻害するものから解放されている
社会(国家)的状態にしか存在しない
ことを知ることだ、


人間は、社会(国家)の中で、他者と共にでしか、生き得ない。
勿論、人間が社会(国家)の中で他者と共に生きる、ということは、
単に糊口をしのぐ、ということではなく、
健康で文化的な生活を営むべく自由に生きていく、ということだ。
憲法25条1項が、
「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利
を有する。」、と規定し、
生存権を確認しているのは、
戦後の日本社会(国家)が
從法(自然法)人権(そのもの)擁護動的平衡システム社会(国家)だから、だ。
日本の憲法は、
詐称資本主義人工市場似非社会・国家を約した大日本帝国憲法を
破棄し、
從法(自然法)人権(そのもの)擁護動的平衡システム社会(国家)を
約した社会(国家)更改契約書に違いない。





第2章

 
修正資本(自由)主義社会は
  從法(自然法)暫定自由人権(そのもの)擁護
   制度社会の誤称

   (修正資本(自由)主義とは何か)



1 (
修正資本(自由)主義社会(国家)は
  從法(自然法)暫定自由人権(そのもの)擁護制度社会(国家)の
  誤称
)

自然法(超法規社会(国家)規範)に従って、
個々人すべてが健康で文化的な生活を営むべく
自由に生きていく社会(国家)。
一次的には、自由の規制は必要最低限に止め、
自由なり市場原理の合理性・妥当性を推定し、
暫定自由を原則とした。
二次的に、自由なり市場原理の行き過ぎによって壊された
社会(国家)を、
社会保障制度などの社会(国家)的仕組み
での生活基盤保障制度と連結一体となった、
帰属所得再評価・不当利得返還・市場原理相対化・社会(国家)復元制度
である累進課税制度によって是正し、
復元する。
戦後の日本社会(国家)は、そういう動的平衡システムを成す
從法(自然法)人権(そのもの)擁護動的平衡システム社会(国家)だ。
それは、修正資本(自由)主義社会(国家)と誤称されてきたが、
人類の普遍的な社会(国家)でさえある。
資本(自由)主義は、
所有権と自由と契約と法律を絶対(正義)化した、
規制(とくに労働規制)と累進課税制度が撤廃ないし弱化された、
その結果、欠落才覚人たちが限りなく豊かになることが可能になった、
欠落才覚人天下人工市場似非社会・国家主義の詐称であり、
心底そんな犯罪思想を原理原則とした社会(国家)など
あり得ない。
自由は、人が社会(国家)の中で他者と共に健康で文化的な
生活を営んで生きていくための、手段として存在している。
その意味で、自由の本質は、解放にはなく、開放にある。
だが、「自由を守る」と言い、
自由が目的と化しめられている。
目的と化しめられた自由は、妄想でしかなく、
欠落才覚人たちが限りなく豊かになることを可能にした仕様の、
欠落才覚人天下人工市場似非社会・国家主義を
騙し込むための詐術以外の何ものでもない。
資本(自由)主義そのものが詐称詐術なのだ。


2 (
社会(国家)組織せしめたのは(本物の)神の見えざる手)

人間の頭脳は、
生きていく、できれば健康で文化的な生活を営むべく自由に、
という目的を持っている。
だが、個々の人間を取り巻く外界の事象は、一人で生きて行くには、
余りにも過酷である。
人間は、社会(国家)を組織して、みんなして、生きていく、
生きていくしか、方法・道はなかった。
つまり、人間に、社会(国家)を組織せしめたのは、
「個々人すべてが、社会(国家)の中で他者と共に、
健康で文化的な生活を営むべく自由に生きていくべし、」
というような超法規社会(国家)規範(自然法・正義)ないしは
その意識・感覚、つまり(本物の)神の見えざる手のはずだ。


3 (
從法(自然法)人権(そのもの)擁護動的平衡システム社会(国家)での
  自由は暫定自由であり手段
)

したがって、自由は、暫定自由であり、
この唯一絶対の超法規社会(国家)規範(自然法・正義)を出自として、
個々人すべてが社会(国家)の中で他者と共に健康で文化的な生活を
営んでいくための手段として、存在している、と考えられてくる。
自由があるのは、健康で文化的な生活が、物体のように、
これかれのものとして予めかちっと決まっているものではないから、だ。
人権(そのもの)も、
この唯一絶対の超法規社会(国家)規範(自然法・正義)を出自として、
人が、社会(国家)の中で他者と共に、
健康で文化的な生活を営むべく自由に生きていく、
超法規的権利義務として、存在している、と考えられてくる。
人権(そのもの)は基本的人権の前提に存在しているはずだ。
平等権は、不合理な拘束・規制によってこの人権(そのもの)を
侵害阻害されない、超法規的な権利義務だ。
とすれば、平等は人権(そのもの)の属性だ、と考えられてくる。
民主主義とは、人民の、人民による、人民のための、この
人権(そのもの)を守るための、政治のこと、なのだろう。
民意至上民主主義は、詐称自由(資本)主義欠落才覚人天下
人工市場似非社会・国家主義化乗っ取り犯罪の免罪符、なのだろう。


4 (
絶対自由は
  欠落才覚人天下人工市場似非社会・国家主義
  騙し込みのための詐術
)

だが、詐称自由(資本)主義人工市場似非社会・国家主義は、
この自然法(超法規社会(国家)規範)を否定・拒絶することに
よって成り立っている。
絶対自由は、
この自然法(超法規社会(国家)規範)を、嘘詐術を使って否定・拒絶
することによって、でっち上げられている。
この詐称自由(資本)主義人工市場似非社会・国家主義での自由は、
何ものにも拘束されない、何をやってもいい、好き勝手なことを
していい、逆に言えば、弱い者は何をされてもどうすることも
できない、絶対自由のはずだ。
その目的は、欠落才覚人たちが限りなく豊かになることを可能に
した似非社会・国家を作るため、としか考えられない。
実際、絶対自由も、欠落才覚人たちが限りなく豊かになることを
可能にするための目的自由へと変容している。
(絶体)資本(自由)主義(社会)とは、
所有権と自由と契約と法律を絶対(正義)化した、
規制(とくに労働規制)と累進課税が撤廃ないし弱化された、
そういう、
欠落才覚人たちが限りなく豊かになることを可能にした仕様の、
欠落才覚人天下人工市場似非社会・国家の詐称だ。
当然、欠落才覚人たちとその他の大部分の人たちの間で、
所得や資産格差が限りなく広がっていくのは、当然なだけでなく、
好ましいこと、ということになる。
そこでの平等は、機会の平等でしかない。
つまり、人権(そのもの)の概念を欠いているのである。
機会の平等か結果の平等か、という問いは、罠なのである。
先述のように、平等は人権(そのもの)の属性だ。


5 (
隠蔽されている
  從法(自然法)暫定自由人権(そのもの)擁護制度社会(国家)
)

「健康で文化的な生活」と「限りなく豊かになること」とは、
実際は、相当な部分で、重なり合っているだろう。
それ故、ぼんやりしていたら、
從法(自然法)人権(そのもの)擁護動的平衡システム社会(国家)と
詐称自由(資本)主義人工市場似非社会・国家との区別は
つかない。
ましてや、「自由のない社会主義か自由のある資本(自由)主義か」
という、二者誤謬中の択一の罠が仕掛けられている現況の中で
超法規社会(国家)規範(自然法・正義)の存在を、
從法(自然法)人権(そのもの)擁護動的平衡システム社会(国家)を、
認識し自覚する、ということは、不可能なことだ。
少なくとも、結果としては、
從法(自然法)人権(そのもの)擁護動的平衡システム社会(国家)は、
隠蔽されている、ということだ。


6 (
二段構えの
  從法(自然法)暫定自由人権(そのもの)擁護制度社会(国家)
)

しかし、戦後の日本社会(国家)は、紛れもなく、
從法(自然法)人権(そのもの)擁護動的平衡システム社会(国家)であって、
詐称自由(資本)主義欠落才覚人天下人工市場似非社会・国家
でないことは、自明なことなのだ。
簡単に言えばこうなっている。
この社会(国家)は二段構えの動的平衡システムになっている。
まず、行われているのは、
人々の自由勝手にすることが明らかに不都合・反正義反自然法
であることが予め判然としている事柄の、自由の規制だ。
たとえば、労基法1条1項は、
「労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための
必要を充たすべきものでなければならない。」として、
雇用契約の自由に規制をしている。
環境や労働規制はかなりある。
それ以外は、自由なり市場原理が暫定原則なのである。
つまり、自由なり市場原理の合理性・妥当性が、
暫定的に推定されている、ということだ。
それは、あくまで、「暫定的に推定される」のであって、
詐称自由(資本)主義人工市場似非社会・国家主義のように、
合理性・妥当性が初めから擬制されている、のではない。


7 (
累進課税制度は社会基盤保障制度と連結一体の
  帰属所得再評価・不当利得返還・社会(国家)補修復元制度
)

次に行われているのは、
累進課税による暫定自由現実化・社会(国家)の補修復元だ。
生活保護制度や社会保険制度などの社会保障制度は、
社会(国家)的な仕組みでの生活基盤保障制度であると同時に、
暫定自由現実化・社会(国家)補修復元制度だ。
所得税相続税における累進課税制度は、法律的には、
帰属所得再評価・超過不当利得返還制度だ。
要するに、累進課税制度は、
一次的に原初的に暫定的に合理性妥当性が推定された
自由ないし市場原理の行き過ぎ、それによってもたらされた不都合を、
自然法(超法規社会(国家)規範)・正義・公平・モラル(道徳)・健全な常識
・公共の福祉・公序良俗に照らして、是正ないし修復し、壊された部分を
復元する制度だ。
したがって、累進課税制度は、
社会保障制度などの社会(国家)的仕組みでの生活基盤保障制度・
暫定自由現実化・社会(国家)補修復元制度と一体となった、
動的平衡にあるシステム制度なのだ。
絶対権力を持った万能国家があって、それが自由な徴税権を固有に
持っている、というのは、
社会保障制度などの社会(国家)的仕組みでの生活基盤保障制度・
暫定自由現実化・社会(国家)補修復元制度を
所得再分配制度として分断・矮小化する、というのは、
妄想というより、詐術だ。


8 (
規制撤廃と累進課税弱化によって社会(国家)は壊される)

上述のことから、
逆に規制(とくに労働規制)と累進課税制度が撤廃ないし弱化されること
によって、
從法(自然法)人権(そのもの)擁護動的平衡システム社会(国家)が
壊されていくことは、容易に分かる。
規制(とくに労働規制)と累進課税制度の撤廃ないし弱化によって、
財富の欠落才覚人たちへの偏蓄と製造業の衰退、労働条件の
悪化・賃下げ常態化が起き、労働者(消費生活者)の購買力低下が
起こることは、容易に分かる。
アダム・スミスの見えざる手は、実在するものではなく、
所有権と自由と契約と法律が絶対(正義)化された、
規制(とくに労働規制)と累進課税制度が撤廃された、
分業・自由放任・市場原理が絶対(正義)化された、
詐称自由(資本)主義欠落才覚人天下人工市場似非社会・国家を
築造するためには、絶対に欠かせない、トリック・詐術でしない。


9 (
規制と累進課税の強化によって
   社会(国家)は補修復元される
)

とすれば、当然、壊された社会(国家)の補修復元は、
規制(とくに労働規制)と累進課税の強化によってやる以外に
方法はないはずだ。
それを探り当てたのが、フランスのトマ・ピケティ氏である。
「ビケティ氏は独自に収集した各国の税務データを下に、
『日本では上位10%の富裕層の所得の全体に占める割合が、
1960年代は30%程度にとどまっていたが、
2010年には40%に上昇し、富の集中が進んでいる』と指摘。
非正規労働者の割合が4割に達していることにも
『企業は彼らには十分に教育しないので新しい技能を得ることが
できず全体の経済成長を阻害する』
と懸念を示した。」
「その上で、成長と格差是正を両立させる策として、
富裕層の持つ土地や金融資産に、資産額が大きいほど税率が
高くなる『累進資産課税』を導入することを提案、
『財源を社会保障や公的な学校への支援に使うことにより資産を
持たない若者世代の就職や子育てを容易にすることが有効になる』
と指摘した。
一方、政府が進める消費税率の引き上げ政策については
『消費税増税は若者や低所得者にも負担になる。
富の蓄積をしていない世帯の負担は軽くする必要があり
経済成長にとってもマイナスだ』として
否定的な考え方を鮮明にした。」
(2015・2・1東京新聞朝刊「人口減 日本格差拡大 
若者に富の再配分を」)
トマ・ピケティ氏は、
資本(自由)主義の正体が、
欠落才覚人たちが限りなく豊かになることを可能にした仕様の、
欠落才覚人天下人工市場似非社会・国家主義であることを
直感しているのではないだろうか。


10 (
すべての制度・権利義務の出自は
   超法規社会(国家)規範(自然法)感覚=(本物の)神の見えざる手
)

要するに、こうだ。
人間の世界に、
「個々人すべてが、社会(国家)の中で他者と共に、
健康で文化的な生活を営むべく自由に生きていくべし、」
という超法規社会(国家)規範が法(自然法)として、正義・公平
・モラル(道徳)・健全な常識・公共の福祉・公序良俗として、
存在しているのだ。
しかも、それは唯一絶対のものとして存在している。
どんな制度も、社会(国家)という制度そのものさえ、
どんな権利義務も、自由権さえも、
その出自・生まれは、この超法規社会(国家)規範(自然法・正義)にある。
暫定自由は、個々人すべてが社会(国家)の中で他者と共に
健康で文化的な生活を営んでいくための、手段として存在している。
それは、健康で文化的な生活が、物体のように、これかれのものとして
予めかちっと決まっているものではないからだ。
どんな制度も権利義務も、
この超法規社会(国家)規範(自然法)・正義・公平・モラル(道徳)感覚、
つまり(本物の)神の見えざる手が創るものだ。
欠落才覚人とは、この(本物の)神の見えざる手が欠落した、
口八丁手八丁で、弁舌に長け、強欲で非情で、戦略的で、
詐欺的才覚のある人たちのことだ。
はっきり言えば、新種の狂人だ。


11 (
戦後の日本は「資本主義の国」ではない)

譲歩してきた経済学者たちはこう言う。
「市場競争の結果、格差が生まれてしまうのは事実である。
経済学者の多くは、市場競争で豊かさを達成し、その成果を
分配し直すことで格差に対処するべきだと考えている。・・・」
「日本では資本主義の国であるにもかかわらず、市場競争に
対する拒絶反応が強いのである。日本は市場競争のメリットを、
自分たちに言い聞かせる努力をしてこなかったのではない
だろうか。」
(大竹文雄「競争と公平感」中公新書?ページ以下70ページ)、と。
しかし、先述のように、
戦後の日本社会(国家)が、紛れもなく、
從法(自然法)人権(そのもの)擁護動的平衡システム社会(国家)
であって、
詐称自由(資本)主義欠落才覚人天下人工市場似非社会・国家
でないことは、自明なことなのだ。
福岡伸一教授は、「生命とは動的平衡にあるシステムである」、
と言っている。
「間断なく流れながら、精妙なバランスを保つもの。絶え間なく壊す
こと以外に、そして常に作り直すこと以外に、損なわれないように
する方法はない。生命は、そのようなありかたとふるまいかたを選び
とった。それが動的平衡である。」
(福岡伸一「動的平衡」木楽舎232ページ254ページ)
生物である人間が、生きていくために組織した社会(国家)が、
個々人すべてが、社会(国家)の中で他者と共に、
健康で文化的な生活を営むべく自由に生きていくための、
動的平衡にあるシステム社会(国家)の構造をしているのは、
当たり前のことだろう。
だが、近代は「Aと非Aとを峻別してその中間を排除する論理が貫徹
している。これを峻別の論理と呼ぶ。」
「峻別の論理の原型は、近代法の基礎をなす私的所有に内在している。」
(川島武宜「民法T総論・物権」有斐閣9ページ)
しかし、それは妄想であり、詐術でしかなく、
資本(自由)主義は、欠落才覚人天下人工市場似非社会・国家主義の
詐称だ。
いわゆる所得の再分配、つまり帰属所得再評価・不当利得返還・
暫定自由現実化・社会(国家)補修復元制度を認めざるを得なくなっている
ことで、経済学は既に破綻している。


12 (
心底から
   欠落才覚人天下人工市場似非社会・国家主義を
   原理原則とした社会(国家)あり得ない
)

資本(自由)主義(社会)というのは、
数多の嘘詐術で固めた
欠落才覚人天下人工市場似非社会・国家の詐称であって、
人工の似非社会・国家だ。
勿論、心底から、詐称自由(資本)主義人工市場似非社会・国家主義を
原理原則とした社会(国家)など、あり得ない。
現実に存在しているのは、
詐称自由(資本)主義人工市場似非社会・国家主義に
よって、多かれ少なかれ歪められた、
從法(自然法)人権(そのもの)擁護動的平衡システム社会(国家)だ。
だから、「資本主義が終わる」(水野和夫)のではなく、
規制(とくに労働規制)と累進課税を弱化させ、
欠落才覚人たちが限りなく豊かになり続けることが、
社会(国家)を歪め、社会(国家)から詐取し続けることが、
不可能になり「終わる」、のだ。
言い換えれば、固めた数多の嘘詐術が露顕し、
欠落才覚人たちが限りなく豊かになり続けることが、
社会(国家)を歪め、社会(国家)から詐取し続けることが、
不可能になり「終わる」、ということだ。
ともあれ、とすれば、固めた数多の嘘詐術が露顕し、
超法規社会(国家)規範(自然法)の存在が判然とし、
自由の意味が判然としてきて、
從法(自然法)人権(そのもの)擁護動的平衡システム社会(国家)が
顕在化する時代が、
たとえそれが、半世紀かかろうが、1世紀かかろうが、
必ずやって来るはずだ。




第3章

 所得再分配は
 生活基盤保障制度と累進課税制度と連結一体の
 帰属所得再評価・社会(国家)補修復元制度の誤称

  (暫定自由制度社会(国家)とは何か)



1 (
絶対自由を暫定自由制度に「修正」するのが
   修正資本主義
)

詐称資本(自由)主義・
絶対自由(資本)主義欠落才覚人天下人工市場似非社会・国家主義を
原理原則として社会(国家)は、人間社会(国家)では、あり得ない。
それはさておき、
広中良典教授の「社会的セーフティネットの進化」の
叙述は示唆的だ。
曰く。
「図7・1をご覧いただきたい。

広井良典作図・社会的セーフティネットの進化と構造
              (広井良典「ポスト資本主義」岩波新書152ページより)

これは現在の日本や多くの先進諸国における
「社会的セーフティネット(安全網)の構造を簡単にまとめたものである。
まずピラミッドの一番上に「雇用というセーフティネット(C)」の層がある。
これは、
・・・資本主義システムあるいは市場経済を基調とする社会においては、
仕事に就き、そこで収入を得ることが生計をたてていくにあたっての
もっとも基本的な前提であり基盤になるという意味である。
しかし人間は病気になったり失業したり、
高齢になると退職して収入源を失ったりする。
そこで重要になるのが、
ビラミッドの真ん中の「社会保険というセーフティネット(B)」であり、
健康保険や失業保険、年金等がこれに該当する。
ただしここで注意すべきは、
こうした社会保険は、
あらかじめ仕事に就き、
そこで収入の一定部分を「社会保険料」という形で事前に払っていることが
前提であり、
つまり先の「雇用」とセットになっているということだ。
したがって、
もともと仕事に就いていなかったり
病気や失業の期間が長くなったりすると
社会保険のセーフティネットは受けることができなくなる。
そこで登場するのが
最後のセーフティネット≠スる生活保護であり(図の一番下のA)、
これは税によって賄われる最低限の生活保障(現金給付)システムである。
以上が社会的セーフティネットの一般的な構造だが
実はここで論じたい内容は次の点にある。
それは、
歴史的に見ると、こうした社会的セーフティネットは、
資本主義の進化の過程の中で、
いま述べたのとは逆の順、つまりピラミッドの下から上にかけて、
順次整備されてきたという点だ。
すなわち、
・・・こうしたセーフティネットの最初の象徴例は、
まさに資本主義の勃興期のイギリスにおける
エリザベス一世によって制定された「救貧法(Poor Law)」であり(1601年)、
奇しくもこの1601年はイギリス東インド会社が創設された年(1600年)
の翌年である。
当時のイギリスでは
毛織物など農村工業が勃興して市場経済が急速に発展しており、
しかし同時にその負の側面として都市に貧困層が発生・拡大し、
その慈善的な救済策として救貧法が制定されたのである。
しかしやがて一八世紀後半に産業革命が起こり、
工業化が進展して大量の都市労働者が生まれる時代になると、
いわば救貧法のような事後的な救済策では到底間に合わなく≠ネり、
そこで労働者が(病気や失業に陥る前に)事前に
お金を積み立てて協同でプールし、
あらかじめ貧困に備えるという仕組みが案出されるに至る。
これがまさに国家による強制加入保険としての「社会保険」の誕生であり、
それはよく知られるように、
当時急速に工業化を成し遂げイギリスの地位を脅かしつつあった
ドイツ(プロシア)における宰相ビスマルクの実施した
基幹的政策となった(1870年に疾病保険、労災保険、年金保険が創設)。
これらは先の社会的セーフティネットの図の真ん中(B)にあたるものである。」
「しかし物語はこれでは終わらない。
その後工業化はさらに加速し、資本主義はさらに展開するが、
それは1929年の世界恐慌を迎える。
この時マルクス主義陣営は、
資本主義は生産過剰に陥っており、
したがって国家による生産の計画的管理が不可避と主張したわけだが、
ここで・・・あたかも資本主義の救世主として登場したのがケインズだった。
そしてケインズは、
政府が公共事業や社会保障を通じて市場に介入することにより、
・・・新たな需要を創出することができ、
それによって、ピラミツドの一番上、
つまり「雇用」そのものを生み出すことができるとしたのである。
「雇用」そのものを政府が創り出すというのは、
まさに資本主義の根幹に関わる修正≠ナあり、
・・・こうした「ケインズ主義的福祉国家」の理念と政策は
「修正資本主義」と呼ばれたのだが、
こうした政策により、資本主義は恐慌と戦争から再出発し、
二十世紀後半(特に1970年代頃まで)に空前の成長を遂げたのだった。
以上の流れを見ると、
・・・資本主義は、
その社会的セーフティネットを図7・1のピラミッドの下から上の順に
整備していったことになる。」
(広井良典「ポスト資本主義」岩波新書151ページ以下)、と。


資本(自由)主義というのは、
法(自然法)・人権(そのもの)・正義(公平)の拘束から解放された
絶対自由(資本)欠落才覚人天下人工市場似非社会・国家主義の
詐称だ。
だが、「政府が公共事業や社会保障を通じて市場に介入すること」
「政府ないし公的部門による市場への介入」は、
絶対自由(資本)を暫定自由制度に「修正」するのに他ならない。
とすると、
絶対自由を暫定自由制度に「修正」したのが修正資本主義だ、
と考えられてくる。
生活保護制度が真っ先に登場したのは、
生活保護制度が最低限のぎりぎりの所の人権(そのもの)保障だからだ。
それがなかったら、人は死んでしまうのだから。
生活保護制度がなかったら、社会(国家)は崩壊してしまうのだから。
とすれば、修正資本主義は資本(自由)主義ではない、
ということだ。
修正資本(自由)主義社会(国家)とは、
從法(自然法)
人権(そのもの)擁護暫定自由制度組織人間社会(国家)のことだ。



2 (
「市場の失敗」なのではなく
   暫定自由制度の結果もたらされる
   社会の歪み・綻び
)

経済学と称されてきた
絶対自由(資本)主義欠落才覚人天下人工市場似非社会・国家学は
彼らからすれば認められるはずのない「市場の失敗」を語り、
「市場のメリット」を説く。
しかし、「市場の失敗」と「市場のメリット」はトレードオフの関係にある。
これは、経済学と称されてきたものが、
破綻していることを意味している。


事実は、こういうことだ。
「市場」のメリットではなく、
「暫定自由制度」のメリットだ。
「市場の失敗」なのではなく、
暫定自由制度の結果もたらされる
人権(そのもの)の侵害阻害による社会(国家)の歪み・綻びだ。
社会(国家)そのものが、
その歪み・綻びを是正ないし補修し社会(国家)を復元する
制度組織になっているのが、
從法(自然法)人権(そのもの)擁護
暫定自由動的平衡制度組織人間社会(国家)だ。
まず、
人々の自由勝手とすることが明らかに反正義・反法(自然法)である
ことが予め判然としている事柄については、
しっかりと規制をする。
人権(そのもの)を侵害阻害することが予め判然としている事は
事前にきちんと規制する。
実際、環境や労働規制は多い。
それ以外は取りあえず暫定的に自由とする。
事前には、それ以外は、暫定自由の合理性・妥当性を推定し、
暫定自由を原則とする。
つまり、所有権絶対自由の原則、契約絶対自由の原則、自己責任
絶対の原則ではなく、
所有権暫定自由の原則、契約暫定自由の原則、暫定自己責任の原則だ。
暫定自由制度は、
すべての人が、社会(国家)の中で、他者と共に、
健康で文化的な生活を営むべく自由に生きていくための、
手段に違いない。
それは、健康で文化的な生活の形は流動的発展的なものであり、
予めきちっと決められて存在しているものではないからだ。
事後的に、
暫定自由の行き過ぎによって壊された社会(国家)を、
暫定自由原則の結果もたらされる社会(国家)の歪み・綻びは、
事後的に、
「社会保障制度などの生活基盤保障制度と累進課税制度一体の
帰属所得再評価・不当利得返還・社会(国家)補修復元制度」を以て
是正ないし補修復元する。
勿論、その執行の任に直接当たるのは、社会(国家)制度組織の
執行部(国会・内閣(政府))だ。
法(自然法)に従った、
暫定自由制度を以て人権(そのもの)を守る、
從法(自然法)暫定自由人権(そのもの)擁護制度組織が、
戦後の日本社会(国家)であり、普遍的な人間社会(国家)だ。


大竹文雄教授は、
彼らからすれば認められるはずのない「市場の失敗」を語り、
「市場のメリット」を説いている。
曰く。

「2008年に発生したサブプライム問題を発端として
アメリカ経済が不況に入り、
その影響が世界各国に広がった。
そのため、アメリカ型の市場主義経済がすべてダメだ、
という意見が浸透しているようにも見える。
金融における規制緩和が行きすぎたことが
サブプライム問題の原因なので、
すべての規制を強化すべきだという議論である。
どうも世の中の動きは、極端から極端に流れやすい。
サブプライム問題で市場がうまくいかないと
「市場は悪」というのは極端な話しだ。
市場が失敗する場合もあれば、成功する場合もある。
・・・・市場が失敗する典型的な例には、供給独占がある。
一つの企業だけがある製品を供給しているような状況では、
その企業は競争圧力にさらされないので、
高めの価格設定で少なめの製品供給をすることで、
利潤を最大にできる。
また、公害のような「外部性」と呼ばれる現象も市場の失敗だ。
本来は、人に迷惑をかけている場合は、
迷惑料を支払う必要があるが、
そのための市場が存在しない場合は、
迷惑をかけても損にならないので、
過剰に公害が発生してしまう。
利用料をうまくとることができない一般道や国の防衛というのも
市場に任せてしまうと過少にしか供給できない。・・・・
サブプライムローン問題の本質は、
サブプライムローンという返済不能になるリスクの高い住宅ローンを
正しく格付けせずに証券化したことにある。
それまで、正しく格付けされていると思っていた証券の格付けが
信頼されなくなった時に、どのようなことが起こるかを考えてみよう。
まず、証券の格付けが信頼できなくなると
証券の売り手と買い手の間に、
証券の質についての情報の非対称性が発生する。
では、情報の非対称性が発生すると、
商品の市場取引に、どのようなことが発生するだろうか。・・・・
商品を購入する側が商品に関する正しい情報をもたない場合、
売り手には不良品を高く売るインセンティブが生じる。
一方で、消費者は不良品を買わされることを恐れてしまう。
その結果、市場そのものが縮小し、
場合によっては、買い手がいなくなって市場がうまく機能しなくなる。
これが、非対称情報によって市場が失敗する理由である。
サブプライムローンの格付けが信頼できなくなったとたんに、
世界中の金融市場が機能しなくなった・・・。
似たようなことに、耐震度を偽装したマンションの問題がある。
表示されたマンションの耐震度が信頼できないのであれば、
人々はマンションの購入をためらうだろう。
情報の非対称性が問題である場合には、
正しい情報を開示することを義務付けるような規制と監視機関の設立が
一つの解決方法である。
他にも、継続的な取引をすることで人をだますことができないようにする、
という解決方法もある。
実際、情報の非対称性が問題になる金融市場や労働市場では、
さまざまな規制が存在したり、
継続的な取引慣行が存在している。
それでも、市場の失敗を完全に解決することはできない。・・・・
たしかに、市場が失敗する例は多い。
しかし、それでも市場がうまく機能する場合も多い。
スーパーに商品がたくさんあり、売れ残りや、品切れが少ないのは、
市場経済がうまく機能しているからである。・・・・」
(大竹文雄「競争と公平感」中公新書64ページ以下)、と。


しかし、
「市場」のメリットではなく、
「暫定自由制度」のメリットだ。
「市場の失敗」なのではなく、
暫定自由制度の結果もたらされる
人権(そのもの)の侵害阻害による社会(国家)の歪み・綻びだ。
人間社会(国家)はマーケット(市場)ではない。
経済学と称されてきた、
絶対自由(資本)主義欠落才覚人天下人工市場似非社会・国家学
が、破綻しているのは、当たり前だ。



3 (
所得再分配制度は
  生活基盤保障制度と累進課税制度と連結一体の
  帰属所得再評価・社会(国家)補修復元制度の誤称
)

経済学と称されてきた
絶対自由(資本)主義欠落才覚人天下人工市場似非社会・国家学も、
破綻をきたすのを分かっていても、
「市場の失敗」「所得再分配制度」を認めざるを得なくなってきている。
「市場の失敗」は、「市場の失敗」なのではなく、
暫定自由制度の結果もたらされる
人権(そのもの)の侵害阻害による社会(国家)の歪み・綻びだ。
その歪み・綻びを是正ないし補修し社会(国家)を復元するのが、
社会保障制度などの生活基盤保障制度と累進課税制度と連結一体の
帰属所得再評価・不当利得返還・社会(国家)補修復元制度である。
「所得再分配制度」は、
この帰属所得再評価・不当利得返還・社会(国家)補修復元制度の
誤称である。


「市場の失敗」「所得再分配制度」を認めないのが、
欠落才覚人たちが限りなく豊かになることを可能にした、
絶対自由(資本)主義欠落才覚人天下人工市場似非社会・国家学
の論理的帰結だ。
そこは、所有権絶対自由の原則、契約絶対自由の原則、自己責任
絶対の原則を原理原則とした、
人工市場似非社会・国家であって、人間社会(国家)ではない。
実際、ミルトン・フリードマンは、「所得の再分配」はすべきでない、
と言っていた、という。
「市場メカニズムが所得分配の大きな格差を生むことをもって
「市場の失敗」の一つに数えたとする。
それに対処するために、
累進所得税制、生活保護などの施策を講じるべきである、と
ケインズ主義者ないしリベラリストは主張する。
フリードマンは
「どんな社会においても、
その社会がどう組織されているかとは無関係に、
所得の分配に対する不満が常にあるものだ」
(ミルトン&ローザ・フリードマン「選択の自由」1979年、
日本語版は西山千明訳で日本経済新聞社刊)と断った上で、
「政府による所得の再分配は、
それがいかなるものであれ、
情報伝達と動機づけという市場の二大機能を麻痺させるから善くない」
(前掲書)と言う。」
(佐和隆光「漂流する資本主義」ダイヤモンド社77ページ以下)


経済学と称されてきた
絶対自由(資本)主義欠落才覚人天下人工市場似非社会・国家学も、
破綻をきたすのを分かっていても、
「市場の失敗」「所得再分配制度」を認めざるを得なくなってきている。
「経済のことは政府が手出しをせず、市場に任せておけば、
「神の見えざる手」によって万事うまくいくというのが、
経済学の最も基本的な考え方です。したがって、
経済学者は政府の経済への関与は小さいほどよいと考える
傾向にあります。
もっとも、
経済学者も市場に任せておけない物事があることは認めています。
「市場の失敗」と呼ばれるものです。
これを補うために、
財政には、
公共サービス(行政サービス)の提供、
所得再分配(貧富の格差の是正)、
景気の安定化、
という3つの役割があります。
公共サービスの代表は警察です。
警察官がいなければ、犯罪が増え、皆が困ってしまいます。
しかし、政府がなければ、
豊かな人が護衛を雇って自分の身を守ることはあっても、
世の中の治安をよくするために、
誰かが警察官を雇うことはないでしょう。
消防やゴミ収集についても、同じことが言えます。
所得再分配は、累進課税といって、
所得の高い人からは高い税率で所得税を集め、
貧しい人には生活保護などの支援をすることです。
そうしないと、貧富の差が拡大してしまい、
健康で文化的な生活が送れない人が出てくる可能性がある
からです。
また、政府は不況期には公共投資を行うなどして、
景気の安定を図ります。
これは、地方公共団体(地方自治体)ではなく国の役割です。」
(塚崎公義「よくわかる日本経済入門」198ページ以下)、と。


「市場の失敗」は、「市場の失敗」なのではなく、
暫定自由制度の結果もたらされる
人権(そのもの)の侵害阻害による社会(国家)の歪み・綻びだ。
その歪み・綻びを是正ないし補修し社会(国家)を復元するのが、
社会保障制度などの生活基盤保障制度と累進課税制度と連結一体の
帰属所得再評価・不当利得返還・社会(国家)補修復元制度である。
「所得再分配制度」は、
この帰属所得再評価・不当利得返還・社会(国家)補修復元制度の
誤称である。
とすると、
「所得の再分配」を認める
「ケインズ主義者ないしリベラリスト」の真意は、
從法(自然法)人権(そのもの)擁護暫定自由制度組織
人間社会(国家)を説くにある、と考えられてくる。
まず、
人々の自由勝手とすることが
明らかに反正義(公平)・反法(自然法)であることが
予め判然としている事柄については、
しっかりと規制をする。
人権(そのもの)を侵害阻害することが予め判然としている事は
事前にきちんと規制する。
実際、環境や労働規制は多い。
それ以外は取りあえず暫定的に自由とする。
事前には、それ以外は、暫定自由の合理性・妥当性を推定し、
暫定自由を原則とする。
つまり、所有権絶対自由の原則、契約絶対自由の原則、自己責任
絶対の原則ではなく、
所有権暫定自由の原則、契約暫定自由の原則、
暫定自己責任の原則だ。
暫定自由制度は、
すべての人が、社会(国家)の中で、他者と共に、
健康で文化的な生活を営むべく自由に生きていくための、
手段に違いない。
それは、健康で文化的な生活の形は流動的発展的なものであり、
予めきちっと決められて存在しているものではないからだ。
事後的に、
暫定自由の行き過ぎによって壊された社会(国家)を、
暫定自由原則の結果もたらされる
人権(そのもの)侵害・阻害による社会(国家)の歪み・綻びは、
事後的に、
「社会保障制度などの生活基盤保障制度と累進課税制度一体の
帰属所得再評価・不当利得返還・社会(国家)補修復元制度」を以て
是正ないし補修復元する。
勿論、その執行の任に直接当たるのは、社会(国家)制度組織の
執行部(国会・内閣(政府))だ。



4 (
普遍的価値の自由は
  絶対自由ではなく暫定自由(制度)
)

広井良典教授の言うことは示唆的である。
曰く。
「ケインズ政策は、・・・・政府が市場経済への様々な介入を行い、
それによって需要の創出ひいては経済成長を図ろうとする考え方
であるが、
では具体的にどのような領域に政府が関わっていくかは、
国によって異なる形態をとるものだった。
教科書的な言い方をすれば、
市場に政府が介入することが合理的に是認されるのは、
  (a) 「市場の失敗」の是正・・・・たとえば「公共財」の提供(道路などの
    公共事業、科学の基礎研究への投資など)
  (b) 所得再分配・・・・特に社会保障や税制
のいずれかで、
形式的に言えば(a)は市場原理の補完≠ナあり(市場の失敗が起こり
やすい領域において、それが生じないような介入を行い市場機能を
うまく作動させる)、
(b)は市場原理の修正≠ニいうことになる。」
(広井良典「ポスト資本主義」岩波新書52ページ)、と。


「市場の失敗」は、「市場の失敗」なのではなく、
暫定自由制度の結果もたらされる
人権(そのもの)の侵害阻害による社会(国家)の歪み・綻びだ。
その歪み・綻びを是正ないし補修し社会(国家)を復元するのが、
社会保障制度などの生活基盤保障制度と累進課税制度と連結一体の
帰属所得再評価・不当利得返還・社会(国家)補修復元制度である。
「所得再分配制度」は、
この帰属所得再評価・不当利得返還・社会(国家)補修復元制度の
誤称である。
つまり、社会保障制度などの生活基盤保障制度は、
累進課税制度と連結一体の帰属所得再評価・不当利得返還・
社会(国家)補修復元制度である。
とすると、ケインズなり「ケインズ主義者ないしリベラリスト」の真意は、
「政府が市場経済への様々な介入を行い、
それによって需要の創出ひいては経済成長を図ろうとする考え方」
ではなく、
暫定自由制度の結果もたらされる
人権(そのもの)の侵害阻害による社会(国家)の歪み・綻びを
政府の様々な介入によって是正ないし補修することによって、
侵害阻害された人権(そのもの)を回復させ、
歪んだ・綻びた社会(国家)を復元するところにある、
と考えられてくるのではないか。


要するに、こう考えたい。
リベラリストの頭に本当にあるのは、
法(自然法)・人権(そのもの)・正義(公平)から解放された
絶対自由ではなく、暫定自由だ、と。
そして、暫定自由は、
暫定自由制度組織人間社会(国家)の制度として存在している、と。
まず、
人々の自由勝手とすることが
明らかに反正義(公平)・反法(自然法)であることが
予め判然としている事柄については、
しっかりと規制をする。
人権(そのもの)を侵害阻害することが予め判然としている事は
事前にきちんと規制する。
実際、環境や労働規制は多い。
それ以外は取りあえず暫定的に自由とする。
事前には、それ以外は、暫定自由の合理性・妥当性を推定し、
暫定自由を原則とする。
つまり、所有権絶対自由の原則、契約絶対自由の原則、自己責任
絶対の原則ではなく、
所有権暫定自由の原則、契約暫定自由の原則、
暫定自己責任の原則だ。
それは、健康で文化的な生活の形は流動的発展的なものであり、
予めきちっと決められて存在しているものではないからだ。
暫定自由原則の結果もたらされる
人権(そのもの)侵害・阻害による社会(国家)の歪み・綻びは、
事後的に、
「社会保障制度などの生活基盤保障制度と累進課税制度一体の
帰属所得再評価・不当利得返還・社会(国家)補修復元制度」を以て
是正ないし補修復元する。
勿論、その執行の任に直接当たるのは、社会(国家)制度組織の
執行部(国会・内閣(政府))だ。
暫定自由は、このように、
暫定自由制度組織人間社会(国家)の制度として存在している、と。


大竹文雄教授は誇らしげに言う。
「・・・私たちは競争そのもの楽しさや競争に打ち勝った時の
報酬があるから競争に参加する。
しかも、市場競争を通じた切磋琢磨は、
私たちを豊かにしてくれるという副産物をもたらす。
一方で、市場競争の結果、格差が生まれてしまうのは事実である。
経済学者の多くは、
市場競争で豊かさを達成し、
その成果を分配し直すことで格差に対処するべきだと考えている。」
(大竹文雄「競争と公平感」中公新書プロローグ)、と。


経済学の基本にあるのは、
法(自然法)・人権(そのもの)・正義(公平)から解放された絶対自由だ。
絶対自由欠落才覚人天下人工市場似非社会・国家学がその正体だ。
しかし、「市場の失敗」「所得再分配」は、
暫定自由制度として存在している。
「市場の失敗」「所得再分配」を認めざるを得なくなった時点で、
経済学は破綻しているのである。


人間にとって一番大切なことは、生きていくことだ。
だが、人間は、社会(国家)を組織して、みんなで生きていく以外に、
生きていく方法はない。
法(自然法)も人権(そのもの)も正義(公平)も
その結果として存在している。
生きていくというのは、単に糊口をしのぐ、ということではない。
すべての人が、社会(国家)の中で、他者とともに、
健康で文化的な生活を営むべく自由に生きていく、ということだ。
暫定自由制度は、
健康で文化的な生活の形は流動的発展的なものであり、
予めきちっと決められた形で存在しているものではないから、だ。
すべての人が、社会(国家)の中で、他者とともに、
健康で文化的な生活を営むべく自由に生きて行くべし、
という超法規社会(国家)規範が法(自然法)だ。
人が、社会(国家)の中で、他者とともに、
健康で文化的な生活を営むべく自由に生きていく
超法規的権利が人権(そのもの)だ。
人間社会(国家)の正義(公平)とは、
すべての人が、社会(国家)の中で、他者とともに、
健康で文化的な生活を営むべく自由に生きていること、
ないし、そういう社会(国家)的状態にあることだ。
景気とは、すべての人が、社会(国家)の中で、他者とともに、
健康で文化的な生活を営むべく自由に生きているかどうかの
社会(国家)的状況のことだろう。
平等とは、法(自然法)にてらしての不合理な差別によって、
人権(そのもの)を侵害阻害されない超法規的権利のことだ。
したがって、平等は人権(そのもの)の属性だ。


「自由と民主主義が普遍的価値だ」、と言ったところで、
その自由が、仮に
法(自然法)・人権(そのもの)・正義(公平)から解放された絶対自由
だとしたら、
人間社会(国家)のこととしては、普遍的価値どころか、犯罪だ。
普遍的価値なのなら、その自由は、暫定自由でなければならない。
暫定自由は、法(自然法)に従い、人権(そのもの)を守る、
制度として存在している。



5 (
累進課税制度は
  生活基盤保障制度と連結一体の
  帰属所得再評価・社会(国家)補修復元制度
)


規制緩和と税のフラット化を同時にやることによって
欠落才覚人天下人工市場似非社会・国家はやって来る。
個々人の受忍し得ない、社会(国家)的にも放置し得ない、
富の欠落才覚人たちへの偏蓄は、
そうしてやって来る
欠落才覚人天下人工市場似非社会・国家化の
論理的帰結だ。
度を越した格差社会がいけないのは、
それが、
すべての人が、社会(国家)のなかで、他者とともに、
健康で文化的な生活を営むべく自由に生きていくべし、
という法(自然法)に反するから、だ。
許容し得ない格差社会(国家)が
規制緩和と税のフラット化によってやって来るとしたら、
その是正は、
規制の強化と税の累進性の強化によって、
可能になる道理だ。


パリ経済学校のトマ・ピケティ教授は、
インタビューで、
「不平等を小さくするには、・・・
収入と資産の両方に、
額が大きいほど税率が高くなる累進課税をかける必要があります。」、と、
次の様に答えている。

――・・・世界の不平等問題で、
  何が起きているのでしょうか。
「ここ数十年の間で、二つの非常に大きな変化が起きています。
一つは米国でとくに目立つことですが、
上級の企業幹部の収入が急上昇しています。
米国では今、全所得の約50%が上位10%の人たちに渡っています。
そして、もう一つの方がさらに重要ですが、
生産設備や金融資産、不動産といった資産の蓄積が進んでいます。・・」
――このまま不平等が進めば、
  貧富の差が激しかった第1次大戦前くらいまで拡大すると?
「分かりませんが、可能性はあると思います。
資産の集中がどんどん進んでいく危険性は、
深刻なものがあると思います。
子どもが少なく、人口が増えない社会では、
富の相続が大きな意味を持ってきます。
人口減少が進むドイツ、イタリア、そして日本ではとくにそうでしょう」
「不平等は、公共の利益にかなう限り受け入れてもいいと思います。
それが経済成長をもたらし、
すべての人の生活水準を良くするものである限りは。
問題は、不平等が行きすぎることの悪影響です。
政治的には、人々がグローバル化に背をむける危険性があります。・・・」
――では、不平等を小さくするには、
  どうすればいいのでしょう。
「教育の機会を拡大することが重要ですが、
それだけでは十分ではありません。
収入と資産の両方に、
額が大きいほど税率が高くなる累進課税をかける必要があります。
100万ドル(1億200万円)の管理職の年収を10倍にしたところで、
それほど業績が上がるわけではありません。
最上級の収入の人に高い課税を求めることで、
際限なく報酬が上昇するのを防ぐことができます」
「資産への累進課税は、もっと重要です。・・・」
――課税の累進性を強めると、
  比較的富裕な層の経済活動が鈍くなり、
  結果として経済成長を鈍化させませんか。
「これは慎重に扱わなければいけない問題です。
実利的に考えるべきです。
すべては、どのような水準の収入や資産にどのような税率をかけるかに、
かかっています。
確かに年収20万ドル(2040万円)の人に
80%の最高税率が課せられたら、やる気を失ってしまうでしょう。
でも、年収100万ドルや500万ドルであれば大丈夫だと思います。
資産への課税も同じです。
巨額の資産があり、
そこから年6〜7%の収益を得ている人に
1〜2%の税金をかけることは大きな問題ではないでしょう」
――著書は、米国でとくに読まれています。
  彼らは不平等が行きすぎたと感じているのでしょうか。
「米国が不平等を気にしない国だと考えるのであれば、
それは間違いです。
長いあいだ、少なくとも白人にとっては米国は欧州よりも平等でした。
100年前には、欧州のように不平等になったらどうしよう
と心配していたくらいです。
第2次大戦の直後、
連合国に占領された日本やドイツでは一時、
所得税の最高税率が90%になりました。
米国が日独のお金持ちを罰しようとしたのではなく、
それがいい税制だと米国で考えられていたからでした。
民主政治が金権政治になるのを防ぐ財政制度が必要だと、
彼らは考えていたのです。
しかし今日の米国では、不平等がどんどん進み、
民主的制度への潜在的な脅威になっています。
先日、米連邦最高裁が選挙向けの献金の上限を撤廃する
判決を出しましたが、それを象徴しています。
政治が少数のエリート層に握られてしまうことへの
懸念が高まっています」
「不平等はいまのところ、
欧州や日本よりも米国で大きな問題になっています。
・・・でも、長い目でみれば、
これはグローバルな問題になりえるのです」
(トマ・ピケティ「新しい資本論」2014・6・14朝日新聞朝刊)、と。


(本物の)神の見えざる手によって創られた、
從法(自然法)人権(そのもの)擁護暫定自由動的平衡制度組織
人間社会(国家)での、
税制度は、
所得税であれ相続税であれ、
正義(公平)法(自然法)に照らしてする、
帰属所得再評価・不当利得返還・社会(国家)補修復元制度である。
高所得は、高所得も、
単に個人の能力や努力によって得られるものではなく、
「@分業の恩恵、A共通言語の恩恵、B社会保障制度などの
生活基盤保障制度の恩恵」なくしては、
そういう「社会(国家)の仕組みをうまく利用」することなしには、
あり得ない。
合意すなわち契約ないし約束によって帰属した帰属所得を、
そのまま、全部、自分のものとして所有するとしたら、
それは不当利得である。
「収入と資産の両方に、
額が大きいほど税率が高くなる累進課税」制度の合理性は
そこにある。
とすれば、
トマ・ピケティ教授の真意は、
すべての人が、社会(国家)のなかで、他者とともに、
健康で文化的な生活を営むべく自由に生きていく、
從法(自然法)人権(そのもの)擁護
暫定自由動的平衡制度組織人間社会(国家)の妥当性を説くにある、
と考えられてくる。
そもそも、
所有権絶対の原則、契約自由絶対の原則、自己責任絶対の原則を
原理原則とした資本(自由)主義社会(国家)というのは、
人間社会(国家)では、あり得ない。
所有権と自由と契約と法律と国家の絶対(正義)化によって、
規制緩和と税のフラット化によって、
やってくるのは、
欠落才覚人たちが限りなく豊かになることを可能にした、
欠落才覚人天下人工市場似非社会・国家化なのである。
水野和夫教授が説く「資本主義の終焉」も、
「資本主義の終焉」ではなく、
正義(公平)感法(自然法)感覚が欠落した、
「欠落才覚人天下人工市場似非社会・国家主義の終焉」なのである。
小泉純一郎氏ら自民党政治家や
竹中平蔵氏ら主流派の経済学者たちが企む、
規制緩和と税のフラット化による
欠落才覚人天下人工市場似非社会・国家化革命は、
人間社会(国家)の目的・正義(公平)・法(自然法)に反する
犯罪なのである。
完全犯罪とは、
その摘発が未来に持ち越された犯罪のこと、でしかないのである。


要するに、高所得は、単に個人の能力や努力によって
得られるものではなく、
「@分業の恩恵、A共通言語の恩恵、B社会保障制度などの
生活基盤保障制度の恩恵」を、
大きく受けて得られたものである。
累進課税制度は、
その事実を重視した、
暫定自由制度組織社会(国家)の、
社会保障制度などの生活基盤保障制度と連結一体の
帰属所得再評価・不当利得返還・社会(国家)補修復元制度である、
と考えられてくる。



6 (
社会保障制度は
  累進課税制度と連結一体の
  帰属所得再評価・社会(国家)補修復元制度
)

「個人がどれだけ懸命に努力を続けても、
子育て、教育、雇用、医療、年金、介護など
人生の全ての局面において、
自分や家族の生活・安心を保障することは不可能だ。」
(弁護士木村達也、佐々木育子他「Q&A実務家が知っておくべき社会保障」
日本加除出版1ページ)
「社会保障は、
20世紀の社会経済情勢の下で、
個人の力のみでは対応しがたい、
たとえ対応できたとしても非効率となる事態に対して、
社会的な支援の仕組みをつくって生活を保障しようとするものであり、
いわば社会全体の創意工夫の結果生み出されたものといえる。
社会保障は、
社会を構成する私たち一人一人の
助け合いと連帯の精神に基づく理解と協力により支えられている。」
(「平成11年版厚生白書 社会保障と国民生活」ぎょうせい7ページ)
社会保障制度とは何か。
駒村康平教授によると、
「社会保障制度とは、
簡単に説明すると公的な仕組みでの生活保障である。
その個別の制度として、年金、医療、介護、雇用保険、労災保険、
社会福祉サービス、生活保護などがある。
そのうち、現金給付というかたちで、所得を保障する仕組み、
つまり「所得保障」には、年金、雇用保険、労災保険、生活保護がある。
なかでも年金制度は、所得保障の中心的な役割を果たしている。」
(駒村康平「日本の年金」岩波新書37ページ)、
ということになる。


「2010年の社会保障給付費は、合計103兆円でした。
20年前は47兆円、10年前は78兆円でしたから、
急激に増加していることがわかります。
内訳は、医療が32兆円、年金が52兆円、福祉その他が19兆円
となっています。」
「財源を見ると、58兆円は社会保険料で、40兆円は公費負担(税金)
です。
たとえば、国民年金は人々が払い込んだ金額に税金で納めた資金を
上乗せして給付しているのです。
残りは積み立てられた資金の運用益等です。
国際的に見ると、
日本の社会保障給付(対国民所得比、国内総生産比)は、
米国より高く、欧州諸国より低くなっています。」
(塚崎公義「よくわかる日本経済入門」朝日新書120ページ以下)


社会(国家)保障制度が何であるかは、
所有権と自由と契約と法律と国家が絶対(正義)化された、
所有権絶対自由の原則、契約絶対自由の原則、自己責任絶対の原則
を原理原則とした、
欠落才覚人たちが限りなく豊かになることを可能にした仕様の、
詐称資本(自由)主義・
絶対自由(資本)主義欠落才覚人天下人工市場似非社会・国家では、
社会(国家)保障制度は、
少なくとも理論的には、存在し得ない、
という事実が教えている。
絶対自由(資本)主義欠落才覚人天下人工市場似非社会・国家色の
強いアメリカにも、
社会保障制度はある、という事実は、
絶対自由(資本)主義欠落才覚人天下人工市場似非社会・国家主義を
心底から原理原則とした社会は、
存在しない、ということに他ならない。


「資本主義とは、私有にもとづく商品の生産と交換を基礎とした
経済的(社会的)システムを意味している。」
(クリストファー・ピアソン「曲がり角にきた福祉国家」
(田中浩他訳)未来社23ページ)
広井良典教授は、資本主義をこう捉えている。
「・・・資本主義の意味を私たちはどのようにとらえたらよいのだろうか。
純化した把握として掲げると、
資本主義=
「市場経済プラス(限りない)拡大・成長」を志向するシステム
という理解がもっとも重要なものになると私は考える。」
(広井良典「ポスト資本主義」岩波新書28ページ)、と。
いずれにしろ、資本(自由)主義とは、
絶対自由(資本)主義欠落才覚人天下人工市場似非社会・国家主義
の詐称でしかない。
それは、人が生きていくために組織された人間社会(国家)ではなく、
少なくとも理論的には、社会(国家)保障制度は存在し得ない。
つまり
「個人がどれだけ懸命に努力を続けても、
子育て、教育、雇用、医療、年金、介護など
人生の全ての局面において、
自分や家族の生活・安心を保障することは不可能だ。」
だから、社会(国家)的な問題として、なんとかしよう、
という視点が欠落しているのだ。
「個人の力のみでは対応しがたい、
たとえ対応できたとしても非効率となる事態に対して、
社会的な支援の仕組みをつくって生活を保障しよう」、
という視点が欠落しているのだ。


「国民からの社会保険料の徴収は、
財産権を保障した憲法29条1項に違反するであろうか。
この点が争われたケースでは、
被保険者から応能負担原則に基づいて保険料を徴収する、
強制加入の市町村公営の医療保険制度(国民健康保険制度)が、
思想・良心の自由を保障した憲法19条
および財産権を保障した憲法29条に違反する
として訴えられたが、
最高裁(最大判昭和33・2・12民集12巻2号190頁)は、
『国民健康保険は、
相扶共済の精神に則り、
国民の疾病、負傷、分娩又は死亡に関し保険給付をすることを
目的とするものであって、
その目的とするところは、
国民の健康を保持、増進しその生活を安定せしめ以て
公共の福祉に資せんとするものであること明白であるから、
その保険給付を受ける被保険者は、
なるべく保険事故を生ずべき者の全部とすべきこと当然であり、
また、相扶共済の保険の性質上
保険事故により生ずる個人の経済的損害を加入者相互に
分担すべきものであることも論を待たない』と述べ、
上記の強制加入の医療保険について、
『憲法19条に何等かかわりないのは勿論、
その他の憲法上の自由権および同法29条1項所定の財産権を
故なく侵害するものということはできない』と判示した。
憲法25条による生存権の保障、
社会保障制度の確立・増進についての国の義務の反面で、
強制加入、保険料の強制徴収に基づく社会保険制度を
創設したとしても、
それが適切なレベルで行われている限り、
憲法19条の思想・良心の自由、
憲法29条1項の財産権の保障に違反しないということである。」
(西村健一郎「社会保障法入門」有斐閣285頁)。


要するに、
「強制加入、保険料の強制徴収に基づく社会保険制度」が、
思想・良心権を保障した憲法19条や
財産権を保障した憲法29条1項に違反・抵触しないのは、
戦後の日本社会(国家)が、
詐称資本(自由)主義・
絶対自由欠落才覚人天下人工市場似非社会・国家
ではないから、だ。
詐称資本(自由)主義社会・国家には、
人権(そのもの)という概念が欠落しているのだ。


社会保障制度が何であるかを知るには、
最後の社会保障制度である生活保護制度を見るのが一番いい。
生活保護法は、その目的を
「日本国憲法第25条に規定する理念に基づき、
国が生活に困窮するすべての国民に対し、
その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、
その最低限度の生活を保障するとともに、
その自立を助長することを目的とする。」、と規定している。
2014(平成26)年6月4日東京新聞夕刊は、
「生活保護160万世帯突破」「3月、受給者も最多更新」との見出しで、
次のように報じている。
「厚生労働省は4日、全国で生活保護を受けている世帯が
3月時点で160万2163世帯となり、初めて160万世帯を超えて
過去最多となったと発表した。・・・
受給者は・・・217万1139人で、過去最多を更新した。
世帯別でみると、65歳以上の高齢者世帯が・・・74万4355世帯で
全体の46.7%を占める。
無年金や低年金などの影響で生活に困る高齢者が増えている。
働ける世帯を含む「その他の世帯」は・・・28万6003世帯だった。」、と。


武田知弘は、「生活保護受給者は小泉時代に激増した」、と
次のように言っている。
「日本の生活保護受給者は、
経済社会の高度化とともに少しずつ増えてきた、と思われがちだが、
実はそうではない。

武田知弘作図・生活保護世帯と人数の推移
               (武田知弘「生活保護の謎」祥伝社新書45ページより)

日本の生活保護は、戦後直後をピークに、その後はずっと下がり
つづけていたのだが、わずかこの10年の間に激増しているのだ。
実は、1995年には、日本の生活保護受給者は
過去最低(72万世帯88万人)を記録していた。
1995年というのは、バブルが崩壊して一段落ついたころである。
この時点まで、
日本の生活保護受給者の数は下がりつづけていたのだ。
今からわずか17年前のことである。
そして、それから17年の間で、2.5倍以上の増加をしているのだ。
しかも、小泉内閣時代にもっとも激増している。
小泉内閣時代に生活保護受給者はほぼ40万人近くも増えているのだ。
小泉内閣以前の10年間では、生活保護者は15万人しか増えていない。
しかし、小泉内閣の5年間たらずの間にその倍以上増えているのだ。
小泉内閣以前の10年間というのは、バブルが崩壊して、
日本経済がもつとも苦しかったと言われる時代である。・・・・
小泉内閣の経済政策が、いかに金持ちを優遇していたか、
低所得者を増やしたかということである。」
(武田知弘「生活保護の謎」祥伝社新書44ページ以下)、と。


生活保護制度を見ても分かるように、
人権(そのもの)の侵害阻害による社会(国家)の歪み・綻びには
2種類ある。
一つは、「市場の失敗」と誤称ないし詐称されてきた
暫定自由制度の結果もたらされるそれである。
もう一つは、新自由主義ないし市場原理主義と称されてきた
絶対自由欠落才覚人天下人工市場似非社会・国家主義化による
それである。
社会保障制度は、
人権(そのもの)の侵害阻害による社会(国家)の歪み・綻びを
是正ないし補修する制度だ。
それ故、生活保護制度は、社会(国家)の歪み・綻びを、
そのいずれであるかを問わずに、補修せざるを得ないのである。
詐称資本(自由)主義・
絶対自由欠落才覚人天下人工市場似非社会・国家ではないから、
社会保障制度がある。
憲法25条1項は、
「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む
権利を有する。」、と規定している。
人が、社会(国家)の中で、他者とともに、
健康で文化的な生活を営むべく自由に生きていく超法規的権利が
人権(そのもの)だ。
人権(そのもの)は憲法25条1項の前提に存在している。
自由権というのは、暫定自由権であって、絶対自由権ではない。
そにに矛盾はない。


人間にとって一番大切なことは、生きていくことだ。
だが、人間は、社会(国家)を組織して、みんなで生きていく以外に、
生きていく方法はない。
法(自然法)も人権(そのもの)も正義(公平)も、その結果として、
すべての人が生きていくための組織としての人間社会(国家)に
存在している。
生きていくというのは、単に糊口をしのぐ、ということではない。
すべての人が、社会(国家)の中で、他者とともに、
健康で文化的な生活を営むべく自由に生きていく、ということだ。
暫定自由制度は、
健康で文化的な生活の形は流動的発展的なものであり、
予めきちっと決められた形で存在しているものではないから、だ。
その結果、こうなった。
理屈というより、経験則的にこうなった。
まず、
人々の自由勝手とすることが
明らかに反正義(公平)・反法(自然法)であることが
予め判然としている事柄については、
しっかりと規制をする。
人権(そのもの)を侵害阻害することが予め判然としている事は
事前にきちんと規制する。
実際、環境や労働規制は多い。
それ以外は取りあえず暫定的に自由とする。
つまり、所有権絶対自由の原則、契約絶対自由の原則、自己責任
絶対の原則ではなく、
所有権暫定自由の原則、
契約暫定自由の原則、
暫定自己責任の原則だ。
暫定自由原則の結果もたらされる
人権(そのもの)侵害・阻害による社会(国家)の歪み・綻びは、
事後的に、
「社会保障制度などの生活基盤保障制度と累進課税制度一体の
帰属所得再評価・不当利得返還・社会(国家)補修復元制度」を以て
是正ないし補修復元する。
勿論、その執行の任に直接当たるのは、社会(国家)制度組織の
執行部(国会・内閣(政府))だ。
執行部には、人権(そのもの)を守る責任と権限がある。


要するに、社会保障制度は、累進課税制度と連結一体の、
帰属所得再評価・不当利得返還・社会(国家)補修復元制度の
一環として存在している、と考えられてくる。
言い換えれば、社会保障制度ないし生活基盤保障制度は、
すべての人が生きていくために組織された、
從法(自然法)人権(そのもの)擁護暫定自由制度組織人間社会(国家)
そのもののことに他ならない。