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人権はすべての人が社会的分業の下に他者と共に自由に生きていく自由共生自然法社会に在る



 第三部


 人権は
 すべての人が社会的分業の下に
  他者と共に自由に生きていく
   
自由共生自然法社会に在る







1 (自然は全ての生き物は他者と共に
  生きていくべしとする自然法社会
)
2 (「すべての生物には社会がある」と言うのは
   今西錦司だ
)
3 (生態系として理解されてきたのは
   自然という社会だ
)
4 (自然という社会は部分社会が
   重層を成している
)
5 (生き物は自然(社会)に適応し得なかったら
   生きてゆけない
)
6 (生き物は
   他者と共に生きていく以外
   生きていく術ない故在る自然法
)
7 (すべての人は社会的分業の下に
    他者と共に生きていくべし、
   という規範が人間社会の自然法
)
8 (すべての人が社会的分業の下に
   他者と共に生きていく
    暫定自由自然法社会に人権は在る
)
図A-0―人間たちの暫定自由自然法社会と他の生き物たちの
    自然法社会との相違――暫定自由即ち社会的分業の
    発明とその高度化

9 (SDGsの理念が
   全人共生暫定自由自然法社会なら
    そこに人権が在る
)







1 (
自然は全ての生き物は他者と共に
  生きていくべしとする自然法社会
)

長谷川眞理子博士は、
「自然淘汰の結果としての適応」の一端を
こう説明している。
「自然淘汰が働く大前提は、生き物の間に遺伝的な
変異があることです。
それらの変異の中のあるものが、他のものよりも環境
に適しているとなると、自然淘汰が働きます。」
「確かに、北極海に住んでいる魚の中には、凍らない
血液を持っているものがあります。
しかし、それは、その魚が北極海に住んでいるかどうか
などとはおかまいなしに、魚の遺伝子の中に生じていた
変異が、たまたま、北極海に住むことで有利となり、
自然淘汰によって広まったものです。」
(長谷川眞理子「進化とはなんだろうか」
岩波ジュニア新書50頁以下)、と。

「自然(社会)への適応が起こることによって、生き物が
生きていけるようになる」としたら、
自然(社会)への適応がどういうメカニズムで起きるのか、
という問題はさておくとして、
それは、
1 自然は全ての生物が他者と共に生きていくための
 システム、つまり社会として出来ている、という事実
2 生き物そのものも、他者と共に生きていくシステム
 として出来ている、という事実
があるからだろう。

とすれば、要するに、
●自然は全ての生物が他者と共に生きていくための
システム、つまり社会として存在している。
その場合、他者とは「他の生物とその周りの環境
すべて含めたもの」のことだろう。
●そして、生き物そのものも、他者と共に生きていく
ためのシステムとして出来ている、ということだろう。

とすると、自然(社会)に、全ての生き物は他者と共に
生きていくべし、とする規範(自然法)が存在するように
思えてくる。
自然は、全ての生き物は他者と共に生きていくべし、
とする自然法社会なのではなかろうか。



2 (
「すべての生物には社会がある」と言うのは
   今西錦司だ
)

今西錦司はこう言っていた。
曰く。
「・・・私は・・・汎神論的な物の見方がしみ込んでいます
から、すべての生物に社会があるという立場をとる。
・・・すべての生物にそれぞれの社会があるという見方、
これは仏教の「三千世界」というのに通じるのです。
ブッディズムというのはけっしてモノセイック(一神論的)
なものではないんですね。
なにかやっぱり根本においてパンセイック(汎神論的)な
ものと結びついているように思いますね。
それからもう一つだいじなことは、そういうすべての生物
に社会を認めることになると、この自然というものはそう
した社会の積み重なりである、ということになってくるん
ですね。
私はそれを「生物全体社会」と呼んでいるのですが、それ
ぞれの生物の社会とは、この全体社会の部分社会として、
一応それぞれに独立した社会である。
しかし、独立しているとみれば、それはたしかに独立して
いるんですけれども、一方からいうと、どこかにつながりが
ある。
だから、つながりという点からいいますと、みんなどこかで
つながっていて、全体で一つの生物社会、あるいはそれを
生物的自然といってもよろしいが、生物的自然という一つの
まとまりのある構築物をつくっている。
いいかえるならば生物的自然は一つのシステムである、と
いう見方になるんですね。
そこのところをもう少し詳しくいうと、この地球上に見られる
生物というのは、てんでにどこかほかの星から移ってきたと
いうようなものであったら、こうまでうまく組織づけられておらん
と思うんですが、これは年代からいうと32億年前ですけれ
ども、最初の生物がこの地球上に発生しまして、そしてその
最初の生物がその後に分化発展して、今日われわれの見る
ような生物的自然にまで成長したのだから、そういう因縁の
あるものだから、これはつながりがあっても当然である。」
(F・A・ハイエク、今西錦司「自然・人類・文明」
NHKブックス22頁以下)、と。

自然は全ての生物が他者と共に生きていくための
システム、つまり社会として存在し、生き物そのものも、
他者と共に生きていくためのシステムとして出来ている、
と考えたい。
つまり、生き物が社会(自然)に適応しているということは、
生き物が生きていけていることを意味している、
ということになる。
生き物が社会(自然)の変化に適応し得なくなったら死滅
する、ということになる。
進化(変化)とは、生き物が死滅しないために、社会(自然)
の変容に適応して変化していく、生きていく、ということで
はないだろうか。



3 (
生態系として理解されてきたのは
   自然という社会だ
)

自然というこの社会は、従来、生態系として理解されて
きた。
たとえば、更科功博士曰く。
「・・・生物はお互いに関係し合って生きている。
それは、初期の人類と肉食獣のような、食べる・食べら
れるの関係だけではない。
資源を奪い合って競争したり、花とハチのようにお互い
に助け合ったり、さまざまなタイプの関係がある。
さらにいえば、生物に影響を与えるのは、他の生物だけ
ではない。
光や水などの生物以外の環境も、大きな影響を与えて
いる。
このような生物とその周りの環境を、すべて含めて生態
系という。
どんな生物でも、一人で生きていくことはできない。
生物は必ず生態系の中で生きている。」
(更科功「若い読者に贈る美しい生物学講義」
ダイヤモンド社207頁以下)、と。

自然とは全ての生物が他の生物とその周りの環境と
共に生きていくためのシステム、つまり社会のように
思われる。

実際、現代社会(国家)は、すべての人が他者と共に生き
ていく(健康で文化的な生活を営んでいく)ためのシステムを
成している。
すべての生物が他者(「他の生物とその周りの環境」)と
共に生きていくべし、という規範(自然法)が内在した
自然法社会である。



4 (
自然という社会は部分社会が
   重層を成している
)

種社会(自然)(部分社会)とは、「同じタイプのすべての生き
物(個体)」が他者(「他の生物とその周りの環境」)と共に生き
ていく(変化していく)べし、という規範(自然法)を内在せした、
「同じタイプのすべての生き物(個体)」が他者(「他の生物
とその周りの環境」)と共に生きていく(変化していく)ための
システムのことである。
種とは、「同じタイプのすべての生き物(個体)」が他者
(「他の生物とその周りの環境」)と共に生きていく(変化し
ていく)ためのシステムである社会を構成する「同じタイプの
すべての生き物(個体)」を総称する言葉のことである。

自然(社会)は部分社会が重層を成して出来ているように
思われる。



5 (
生き物は自然(社会)に適応し得なかったら
   生きてゆけない
)

自然(社会)が全ての生物が他の生物とその周りの環境と
適合・折り合いを付けて生きていくためのシステムとして
存在しているとしたら、生き物は自然(社会)に適応させ
得なかったら生きてゆけないことになる。

「・・・ダーウィンの進化論の根幹になっていることだけは
述べておかねばならないだろう。
それは、いうまでもなく自然淘汰ということであって、生物界
には生存競争ということが、たえず行われており、その結果
としてある個体が生きのこり、他の多くの個体が死んでしまう。
そして、この場合にどういう個体が生きのこるかといえば、
たえずわずかでも生存上に有利な個体差をもった個体が、
適者生存として生きのこるのだ、というのが、文字どおりに
とらえた自然淘汰なのである。」
(今西錦司「主体性の進化論」中公新書38頁)

「・・・生き物の大きな特徴の一つは適応的であることです。
適応とは、生き物の形や生理的過程や行動などが、その
暮らしている環境にうまく合っていることだと言いました。
ヒマラヤの高山の上を渡っていくインドガンは、空中の酸素
をより効率よく取りだせるようなヘモグロビンを持っています
し、海の底の砂地に隠れているカレイは、砂地とそっくりの
色模様をしています。
なぜ、生き物はこんなにうまくできているのでしょう?
現在のところ、なぜ適応が生じるかの科学的説明は一つしか
ありません。
それが、自然淘汰です。
自然淘汰の仕組みは、19世紀の半ばごろに、イギリスの
チャールズ・ダーウィン(1809−82)によって初めて提出され
ました。
それ以後、いろいろな議論や改訂がありましたが、自然淘汰は、
今でも、適応を説明できる唯一の理論なのです。
自然淘汰は、生物の個体には変異があること、変異のなかに
は遺伝的に次世代に受け継がれるものがあること、そのような
変異の中には、生存と繁栄に影響を与えるものがあること、
そして、生まれてきたすべての個体が生き残ることはできない、
ということから生じます。」
(長谷川眞理子「進化とはなんだろうか」
岩波ジュニア新書31頁以下)

自然淘汰と称されているのは自然(社会)への適応のことの
ように思われる。
自然(社会)への適応ができなかったからといって、それは
生き物が淘汰されたわけでもなく、自然によって選択された、
というわけのものではないように思われる。
もっとも、自然によって淘汰された、自然によって選択された、
と言っても、意味は通じてくるが・・・。



6 (
生き物は
   他者と共に生きていく以外
   生きていく術ない故在る自然法
)

生き物そのものが他者と共に生きていくシステムとして
出来ているだけではなく、自然そのものも全ての生物が
他の生物とその周りの環境と適合・折り合いを付けて
生きていくためのシステムとして存在している故、
生き物は自然(社会)に適応させ得なかったら、生きて
ゆけない。
生き物が、進化(変化)することによって、自然(社会)に
適応して生きていくことは、少なくとも結果的には、他の
生物とその周りの環境との共生・棲みわけということに
なるだろう。

進化(変化)とは、「同じタイプのすべての生き物(個体)」が
社会(部分社会)を成して他者(「他の生物とその周りの環境」)
と共に生きていくこと(変化していくこと)なのではないだろうか。
つまり、進化の実態は生物の他者(「他の生物とその周り
の環境」)との共生・棲みわけだ、と言っていいのだろう。
端的に言えば、進化(変化)とは生物が生きていくことだ。
とすると、生き物とは、死滅しないために進化(変化)して
いく物のことである、と考えられてくるのではないか。

ということは、神様は死という概念を創らなかった、という
ことではないだろうか。
親と子と孫を一つの生命として創った。
全生物を一つの生命として創った。
この世があの世で、あの世がこの世なのではないだろうか。

いずれにしろ、自然(社会)には、全ての生き物は他者と
共に生きていくべし、とする規範(自然法)が存在する、
としか考えられない。
そして、要するに、自然(社会)に他者と共に生きていくべし
との規範(自然法)が存在しているのは、生き物には他者と
共に生きていく以外に生きていく術がないからだ、
と考えられる。
自然は、全ての生き物は他者と共に生きていくべしとする
自然法社会なのである。



7 (
すべての人は社会的分業の下に
    他者と共に生きていくべし、
   という規範が人間社会の自然法
)

たとえば、こう説かれてきた。
曰く。
「(1) 「個人の尊重」とは、要するに、「一人ひとりの人間
   を大事にする」ということである。
人権とは人間が人間として生きていくための不可欠な権利
であり、人が生まれながらに当然にもっている権利である、
とされるが、その根底にあるのは、「個人の尊重」の原理
である。
それは、人権保障を根本目的とする近代立憲主義の基底
的な原理でもある。
日本国憲法は、こうした近代立憲主義の流れをくみ、13条
で、「すべて国民は、個人として尊重される」として「個人の
尊重」原理を掲げる。」
(浦部法穂「全訂憲法学教室」日本評論社40頁)、と。


しかし、人権は、「人間が人間として生きていくための
不可欠な権利」なのではない。
人権とは、人が、社会的分業の下に、他者と共に生きて
いく権利(義務)そのもののことだろう。
人権は、すべての人が、社会的分業の下に、他者と共に
生きていく人権擁護システム暫定自由自然法社会(国家)
上の権利(義務)である。
人間は生きていく、という絶対的な目的を持った、それでいて、
他者と共に生きていく以外に生きていく術のない生き物、
そういう具体的人間である。
すべての人は、社会的分業の下に、他者と共に生きていく
べし、という規範(自然法)が人間社会(国家)に存在している
のは、そのためだ。
現代の人間たちの暫定自由自然法社会(国家)が他の生き物
たちの自然法社会と大きく違うのは、
人権擁護システムとして暫定自由制度が発明され、高度に
発展し、人権が顕在化していることである。
暫定自由制度の中核を成すのは暫定自由即ち社会的(世界的)
分業である。
社会的(世界的)分業はすべての人が具体的人間「個人として
尊重される」ことによって成り立つのは言うまでもないことで
ある。
憲法13条が「すべて国民は、個人として尊重される。
生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共
の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を
必要とする。」と規定しているのは、そのためである。
とすると、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」とは、
人権、即ち「人が、社会的分業の下に、他者と共に生きていく
権利(義務)」そのもののことだ、と考えられてくる。

要するに、すべての人が、社会的(世界的)分業の下に、他者と
共に生きていくべし、という規範が現代人権擁護システム暫定
自由自然法社会(国家)での自然法である、と考えられてくる。
また、「公共の福祉」とはこの自然法のことである、とも考えられ
てくる。
「人権については、この自然法に反しない限り、立法その他の
国政の上で、最大の尊重を必要とする」旨を確認しているのが
憲法13条だ、ということも考えられてくる。


図A-1―すべての人は社会的分業の下に他者と共に生きていくべし、
    という規範が人間社会の自然法

図A-1―すべての人は社会的分業の下に他者と共に生きていくべし、という規範が人間社会の自然法



8 (
すべての人が社会的分業の下に
   他者と共に生きていく
    暫定自由自然法社会に人権は在る
)

要するに、全ての生き物は他者と共に生きていくべし、
というのが自然法である。
現代社会(国家)はすべての人が他者と共に生きていく
システム成す人権擁護システム暫定自由自然法社会
(国家)である。
現代の人間たちの自然法社会(国家)が他の生物たちの
自然法社会と大きく違うのは、
人権擁護システムとして暫定自由制度が発明され、
高度に発展し、人権が顕在化していることである。
暫定自由制度の中核を成すのは暫定自由即ち社会的
(世界的)分業である。
人権は人が他者と共に生きていく暫定自由自然法社会
(国家)上の権利である。
社会的(世界的)分業は人権擁護システムとして極めて
合理性に富んだもので、自然法と人権を否定する絶対
自由資本主義幻覚とは縁もゆかりもない。
絶対自由資本主義人為法幻覚人工市場似非社会主義は
すべての人が他者と共に生きていく暫定自由自然法社会
を破壊する犯罪の道具にしか成り得ない。
要するに、人権は、すべての人が他者と共に生きていく
暫定自由自然法社会に在る、と考えられてくる。


図A-0―人間たちの暫定自由自然法社会と他の生き物たちの
    自然法社会との相違――暫定自由即ち社会的分業の
    発明とその高度化


図A-0―人間たちの暫定自由自然法社会と他の生き物たちの自然法社会との相違――暫定自由即ち社会的分業の発明とその高度化




9 (SDGsの理念が
  全人共生暫定自由自然法社会なら
  そこに人権が在る
)

https://imacocollabo.or.jp/about-sdgs/によると
こうだ。
「SDGsとは「Sustainable Development Goals(持続可能な
開発目標)の略称です。
SDGsは2015年9月の国連サミットで採択されたもので、
国連加盟国193か国が2016年から2030年の15年間で
達成するために掲げた目標です。
17の大きな目標と、それらを達成するための具体的な169
のターゲットで構成されています。」
「SDGsの17の目標
1. 貧困をなくそう
  あらゆる場所で、あらゆる形態の貧困に終止符を打つ
2. 飢餓をゼロに
  飢餓に終止符を打ち、食料の安定確保と栄養状態の
  改善を達成するとともに、持続可能な農業を推進する
3. すべての人に健康と福祉を
  あらゆる年齢のすべての人の健康的な生活を確保し、
  福祉を推進する
4. 質の高い教育をみんなに
  すべての人に包摂的かつ公平で質の高い教育を提供し、
  生涯学習の機会を推進する
5. ジェンダー平等を実現しよう
  ジェンダーの平等を達成し、すべての女性と女児のエン
  パワーメントを図る
6. 安全な水とトイレを世界中に
  すべての人に水と衛生へのアクセスと持続可能な管理を
  確保する
7. エネルギーをみんなに そしてクリーンに
  すべての人々に手ごろで信頼でき、持続可能かつ近代的
  なエネルギーへのアクセスを確保する
8. 働きがいも経済成長も
  すべての人のための持続的、包摂的かつ持続可能な経済
  成長、生産的な完全雇用およびディーセント・ワーク(働き
  がいのある人間らしい仕事)を推進する
9. 産業と技術革新の基盤をつくろう
  強靱なインフラを整備し、包摂的で持続可能な産業化を推進
  するとともに、技術革新の拡大を図る
10. 人や国の不平等をなくそう
   国内および国家間の格差を是正する
11. 住み続けられるまちづくりを
   都市と人間の居住地を包摂的、安全、強靱かつ持続可能に
   する
12. つくる責任 つかう責任
   持続可能な消費と生産のパターンを確保する
13. 気候変動に具体的な対策を
   気候変動とその影響に立ち向かうため、緊急対策を取る
14. 海の豊かさを守ろう
   海洋と海洋資源を持続可能な開発に向けて保全し、持続可能
   な形で利用する
15. 陸の豊かさを守ろう
   陸上生態系の保護、回復および持続可能な利用の推進、森林
   の持続可能な管理、砂漠化への対処、土地劣化の阻止よび
   逆転、ならびに生物多様性喪失の阻止を図る
16. 平和と公正をすべての人に
   持続可能な開発に向けて平和で包摂的な社会を推進し、すべて
   の人に司法へのアクセスを提供するとともに、あらゆるレベルに
   おいて効率的で責任ある包摂的な制度を構築する
17. パートナーシップで目標を達成しよう
   持続可能な開発に向けて実施手段を強化し、グローバル・パート
   ナーシップを活性化する           」
(https://imacocollabo.or.jp/about-sdgs/より)


SDGsが掲げる17目標とは、
要するに、法(自然法)と人権を否定する自由主義幻覚によって
侵害阻害損傷されてきた人権を補修し復元するための方策(政策)
目標かのではないだろうか。
とすれば、国連は、すべての人が、社会的(世界的)分業の下に、
他者と共に生きていく、全人共生暫定自由自然法社会(国家)を
理念として存在している、と考えられてくる。
そこには、人が社会的(世界的)分業の下に、他者と共に生きていく
権利(義務)、即ち人権が在る。