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現代 法は人為法幻覚から自然の法へと既に一変している
                             (写真は北海道洞爺湖)

 第二部
      


  
現代 
  法は人為法幻覚から
自然の法へと
   既に一変
している








           【要 旨】


1 (人間が具体的人間として正視されるようになった)
2 (その結果として
  法は人為法幻覚から自然法へと一変した
)
3 (その結果として
  人権が他者と共に生きていく権利へと一変した
)
4 (その結果として
  法律(法規)が人権擁護システムとして一変した
)
5 (その結果として
  立憲主義など主義の意味が一変した
)
6 (その結果として
  権利義務が自然法上の存在として一変した
)
7 (その結果として
  (絶対)自由が(自然法上の)権利の属性へと一変した
)
8 (そのような結果として
  則自然法合有社会(国家)へと一変、
   更にその欠陥を修正した暫定自由制度へと
    絶対自由私有財産制は一変した
)
9 (その結果として
  社会(国家)が人権擁護システムとして一変した
)
10 (その結果として
   税制度が帰属所得再評価制度として一変した
)
11 (その結果として
  従来の則人為法絶対自由資本主義幻覚概念法学は
  全部間違いと帰した
)
12 (所得再分配は暫定自由制度(人権擁護システム)の
    一環としてあり資本主義と両立しない
)
13 (生命は
  個が他の個と共に生きていくシステム=社会を
  成している
)
14 (自由と公正の意味をすり換える
   資本主義マーケット社会化詐欺
)
15 (自由の本義は
   人権を侵害阻害する事象からの解放
)
16 (資本主義人為法幻覚社会化犯罪
    その手口と被破壊社会の補修復元法
)







1 (
人間が具体的人間として正視されるようになった)

人間は、生きていくという絶対的な目的を持った、それでいて
社会(国家)を組織して他者と共に生きていく(健康で文化的な
生活を営んでいく)以外に、生きていく術のない生き物、
そういう具体的人間である。
すべての人が社会(国家)を組織して他者と共に生きて
いくべし、という規範が自然法であり、人が社会(国家)の
中で他者と共に生きていく自然法上の権利が人権である。
この自然法が社会(国家)権として、この自然法上の人権が
社会(国家)上の人権として顕在化し、すべての人が他者と
共に生きていく(健康で文化的な生活を営んでいく)ための
システムを成しているのが現代則法(自然法)人権(そのもの)
擁護システム社会(国家)である。
それは人間が具体的人間として正視されるようになった結果
に他ならない。



2 (
その結果として
  法は人為法幻覚から自然法へと一変した
)

法(自然法)とは、全ての人が、社会(国家)を組織して、
他者と共に、健康で文化的な生活を営んでいく(生きて
いく)べし、という規範(超法規社会(国家)規範)のことで
ある。
結果として成るのは、多様な自由な個々人の生の共存
である。
したがって、法(自然法)とは、多様な自由な個々人の生
が共存すべし、という規範(超法規社会(国家)規範)のこと
である、と言ってもいいのかもしれない。
勿論、この場合の自由は人為法からの解放だろう。
自然法の顕在化は一般条項や解釈理念の形で至るところ
で見られる。
公共の福祉・公序良俗とはこの自然法のことなのである。
労基法13条は労基法の強行的直律的効力と呼ばれる
事実を規定しているが、これは労基法のではなく、その
自然法に適った合理性ある施策の強行的直律的効力なの
である。
社会保険の強制加入も、社会保険法律(法規)に規定され
ている故ではなく、社会保障制度が自然法に適った合理性
ある施策故の強行的直律的効力に他ならない、と考えら
れる。
法が人為法幻覚から自然法へと一変したのは、人間が
具体的人間として正視されるようになったからであるのは
言うまでもないことである。
それ故、モラルも自然法へと一変し、法(自然法)とモラル
が同化した。
民法90条の公序良俗も自然法へと一変した。



3 (
その結果として
  人権が他者と共に生きていく権利へと一変した
)

人権とは、人が、社会(国家)を組織して、他者と共に、
健康で文化的な生活を営んでいく(生きていく)権利(義務)
のことである。
基本的人権はこの人権の別称である。
憲法は25条で生存権としてこの人権を確認している。
人間(具体的人間)が生まれながらに持っているのは、他者
と共に生きていく権利である。
人間(具体的人間)は、自由では、一人では、生きていけない
のである。
民法3条1項は「私権の享有は、出生に始まる。」と規定して
いるが、「私権」は「人権」の誤りである。
同1条1項は「私権は、公共の福祉に適合しなければならな
い。」と規定している。
「私権」は「人権」の誤りであり、「公共の福祉」は自然法のこと
である。
したがって、この規定は、人権は自然法に適合しなければなら
ないことを確認しているものだ、と考えられてくる。
自由が人権であったのが、他者と共に生きていく(健康で
文化的な生活を営んでいく)権利へと一変したのも、人間が
具体的人間として正視されるようになったからであるのは
言うまでもないことである。



4 (
その結果として
  法律(法規)が人権擁護システムとして一変した
)

法律(法規)とは、この人権を守る(社会(国家)の中で他者と
共に生きていく)ための(人権を擁し資し進歩向上を促すため
の)方策(政策)を約した社会的契約(合意)である。
したがって、合理性のある法律(法規)(社会的契約(合意))
を守らなかったら人は生きてゆけない(健康で文化的な生活
を営んでゆけない)。
この強制力が法律の強制力の正体である。
契約(当事者間合意)は、行為の当事者間で作られる法律
(法規)である。
したがって、法律(法規)(社会的契約(合意))と契約(当事者間
合意)が競合した場合、法(自然法)に照らしての合理性に
よって調整実施される、と考えられてくる。
国家公務員は人権擁護を専務とする社会(国家)の機関であり、
法律(法規)を実施し、社(国)民の人権を守っていく責任者である。
人為法だった法律(法規)が、人権守るための方策・政策として
一変したのは、抽象的自由意思人として神格化されていたのが
解かれ、具体的人間として正視されるようになったからに他なら
ない。



5 (
その結果として
  立憲主義など主義の意味が一変した
)

中世封建社会打倒の立役者社会契約説は、社会的契約(法律
(法規))を以て社会(国家)を立ち上げる、という考え方である。
社会(国家)を立ち上げる社会的契約(法律(法規))は憲法と称
されている。
それ故、社会契約説は立憲主義に他ならない。
前提にあるのは、人間社会(国家)に自然法は存在せず、人間
(抽象的自由意思人)は合意を以て自由に社会(国家)を作ることが
出来る、という自由主義幻覚である。
自由主義幻覚が、人間を自然界とは別個独立の人為人工界
存在の抽象的自由意思人と錯覚させ、合意(法律と契約)を絶対
化規範化させてしまったのである。
その後ろ盾として絶対万能権力幻覚国家を措定させる羽目に
陥ってしまったのである。
人間が具体的人間として正視されるようになり、法は人為法幻覚
から自然法へと一変し、人為法だった法律(法規)が、人権守る
ための方策・政策として一変し、立憲主義も人権擁護システム
としての法律制度のバリエーションとして意味が一変した。
罪刑法定主義も、法律(法規)を以て犯罪と刑罰を立ち上げる、
という考え方から、人権擁護システムとしての法律制度のバリ
エーションとして意味が一変している。



6 (
その結果として
  権利義務が自然法上の存在として一変した
)

社会(国家)規範たる法が人為法幻覚から自然法へと一変した。
人為法だった法律(法規)は、人権守るための方策・政策として
一変した。
その結果、合意(法律と契約)によって直ちに権利義務が発生移転
消滅する、ということはあり得なくなった。
権利義務は、合意(法律と契約)を踏まえて、法(自然法)規範
と規範的に意味のある行為事実とを基に、法(自然法)規範に
適っている故の、社会(国家)的妥当性として、法(自然法)規範
上の存在として、発生移転消滅する。
権利義務はすべて自然法上の存在として一変した。
損害賠償請求債権債務は、法(自然法)規範と規範的に意味の
ある行為事実とを基に、法(自然法)規範上の存在として、発生
するのであって、民法709条という法律(法規)を基にストレートに
発生する、という事実はない。
民法709条は自然法上の存在である損害賠償請求債権債務を
確認しているだけである。
請求権競合問題は人為法幻覚が生んだアポリア幻覚でしかなく、
請求権競合という問題は存在しない。
民法1条3項は「権利の濫用は、これを許さない。」と規定している。
これは、人為法幻覚上の権利の行使は濫用として許されないもの
であることを確認したものである。
権利濫用法理の前提には法(社会規範)の自然法規範への一変
という事実がある。



7 (
その結果として
  (絶対)自由が(自然法上の)権利の属性へと一変した
)

自由の意味が解放から「(権利義務を)侵してはならない」の
意味に転化したのが現代だ。
たとえば、「学問の自由」(憲法23条)とは、「学問を(誰もが)
侵してはならない」ということだ。
「財産権は、(誰もが)侵してはならない」(憲法29条1項)とは、
「財産権の自由」ということだ。
不合理な差別によって「(権利義務を)侵してはならない」という
のが平等の意味だ。
要するに、学問権・財産権という権利はあっても、自由権平等
権という独立の権利は実在していないということだ。
結局、権利義務が自然法上の存在として一変し、その結果と
して(絶対)自由は(自然法上の)権利の属性へと一変したので
ある。



8 (
そのような結果として
  則自然法合有社会(国家)へと一変、
   更にその欠陥を修正した暫定自由制度へと
   絶対自由私有財産制は一変した
)

法(社会規範)が、すべての人が他者と共に生きていくべし、
との自然法へと一変し、人権が、他者と共に生きていく権利
(義務)へと一変し、権利義務も自然法上のものへと一変した
結果として、浮かび上がって来た社会(国家)は、すべての物
が、すべての人が他者と共に生きていく、という目的の下に
共有された合有社会(国家)だ。
電気・水道・ガス・道路・川・橋・鉄道・空港・郵便などという、
少なくとも重要なインフラが全社(国)民の合有(いわゆる公有)で
ある社会(国家)だ。
だが、この合有社会(国家)の欠陥も容易に想像が付く。
人権(すべての人の健康で文化的な生活)は進歩向上する
ものだ。
そして、それは、人々に自由が保障されていてはじめて可能
になる。
合有社会(国家)のこの欠陥を直す方法として、すぐに思いつく
のは、重要なインフラは別として、あとは、すべて、取りあえず
原則自由(暫定自由)とし、その自由(暫定自由)がもたらした人権
侵害阻害は、事後的に刑罰や社会保障制度などによって、補修
復元する、暫定自由制度だ。
憲法29条1項が規定しているのは、絶対自由私有財産制つまり
資本主義ではなく、暫定自由私有財産制であり、これは暫定自由
制度(人権擁護システム)の中核成す暫定自由だ。
戦後の日本が修正資本主義と誤解・誤称さりてきたのは、暫定自由
制度を単なる絶対自由私有財産制(資本主義)の修正と勘違いされ
たものと、考えられる。
要するに暫定自由制度は則自然法人権擁護システム合有社会
(国家)の欠陥を修正したもので、資本主義(絶対自由私有財産制)
とは縁もゆかりもない。



9 (
その結果として
  社会(国家)が人権擁護システムとして一変した
)

結局、社会(国家)そのものが、すべての人が他者と共に生きて
(健康で文化的な生活を営んでいく)ためのシステムとして出来
ているのが現代則自然法暫定自由制度人権擁護システム社会
(国家)である。
(広義の)国家は社会の別称である。
国会内閣裁判所という(狭義の)国家ないしは国家公務員は、
人権擁護を専務とする社会(国家)の機関である。
政治行政の目的は人権擁護なのである。
社会(国家)が人権擁護システムとして一変したのは、ひっきょう
するに、人間は、生きていくという絶対的な目的を持った、
それでいて社会(国家)を組織して他者と共に生きていく(健康で
文化的な生活を営んでいく)以外に、生きていく術のない生き物、
そういう具体的人間であると、正視されるようになったからに
他ならない。
憲法13条は「すべて国民は、個人として尊重される。生命、
自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉
に反しない限り、立法その他国政の上で、最大の尊重を必要と
する。」と規定している。
これは、すべての国(社)民が具体的人間個人として尊重されること、
人権は自然法に反しない限り国政上最大限尊重されること、を
確認しているものである。
したがって、憲法13条は則自然法人権擁護システム全人共生
社会(国家)を約した社会的契約だ、と考えられてくる。
したがって又、憲法81条が規定する法令等の合憲性審査権の
実質は法令等の合法(自然法)性審査権である、と言うことになる。
喪失才覚人たちによる絶対自由資本主義似非社会化超巨大洗脳
詐欺完全犯罪によっても、社会(国家)が全壊しないのは、人間は
一度手にした本物の人権を、どんなに巧妙な詐術を以てされても、
手放すことはあり得ないから、だ。



10 (
その結果として
   税制度が帰属所得再評価制度として一変した
)

社会(国家)が人権擁護システムとして一変し、その結果
として税制度が帰属所得再評価制度として一変した。
人為法幻覚に則って、自然法と(自然法上の)人権を否定
・拒絶した上で成り立っている、絶対自由資本主義とは、
所有権絶対自由・契約絶対自由・自己責任絶対を原則
とした人工市場似非社会主義のことである。
人間が自由にし得ない自然法も存在しない上に、契約も
絶対なのだから、契約によって帰属した所得の、その妥当
性を問う帰属所得再評価ということはあり得ない。
現代暫定自由制度人権擁護システム自然法社会(国家)
での税の本質は帰属所得再評価不当利得返還制度である。
累進課税制度が税の本質に適っている。
従来戦後の日本は修正資本主義と誤解されてきたが、
「税の基本原則」も「応能負担原則」と誤解されてきた。
この誤解に付け入る形で、資本主義似非社会化・累進課税
の弱化という犯罪が行われてきたのが現実である。



11 (
その結果として
   従来の則人為法絶対自由資本主義幻覚概念法学は
   全部間違いと帰した
)

社会(国家)が人権擁護システムとして一変し、その結果として、
従来の則人為法絶対自由資本主義幻覚概念法学は全部
間違いと帰しているのである。
だが、その理論化可視化はされてこなかった。
怠慢としか言いようがない。
この怠慢が絶対自由資本主義似非社会化犯罪を誘発
したのである。



12 (
所得再分配は暫定自由制度(人権擁護システム)の
    一環としてあり資本主義と両立しない
)

絶対自由資本主義人工市場似非社会主義経済学者たち
は、こう言っているのである。
曰く。
「「市場による自由競争によって効率性を高め、貧困問題は
セーフティーネットによる所得再分配で解決することが望ま
しい。」
これは、どんな経済学の教科書にも書いてあることだ。
実際、ほとんどの経済学者はこの市場競争とセーフティー
ネットの組み合わせによって私たちが豊かさと格差解消を
達成できると考えている。
ところが、この組み合わせは日本人の常識ではないようだ。
日本では、格差問題は規制緩和によって発生したと考えて
いる人が多い。」
(大竹文雄「競争と公平感」中公新書5頁)、と。

事前規制による人権擁護は必要最小限に止める。
そして、重要なインフラは別として、あとは、すべて、取りあ
えず原則自由(暫定自由)とし、その結果としての暫定自由
私有財産制による社会的(世界的)分業によって人権(全ての
人の健康で文化的な生活)の進歩向上に与す。
その結果として起こってしまった人権侵害阻害も刑罰や
公共事業や帰属所得再評価不当利得返還制度たる税制度
と連結した社会保障制度などの事後救済補修制度によって
対処する。
これが、すべての人が他者と共に生きていく(健康で文化的
な生活を営んでいく)べし、という自然法に則った暫定自由
制度(人権擁護システム)だ。
いわゆる所得再分配(社会保障制度)は、暫定自由制度(人権
擁護システム)の一環を成しているのであって、絶対自由資本
主義とは両立し得ない。

絶対自由資本主義似非社会化犯罪は、すべての人が他者と
共に生きていく(健康で文化的な生活を営んでいく)ためのシス
テムである社会(国家)を人工市場化を進めることによって破壊
し、喪失才覚人たちへの偏蓄を促すと共に、他方、社会(国家)を
生きづらくし、生きてゆけなくなる人を少なからず生むのである。
生活保護法は、そういう人たちの人権を救済・補修するのである。
その結果、絶対自由資本主義似非社会化犯罪によるダメージ
は、緩和されているのである。
この事実を逆手に取って行き、社会保障制度をあたかも絶対
自由資本主義似非社会のためにあるが如きに言いつくろった
のがセーフティーネットトリックだ。
いわゆる所得再分配(裏を返せば帰属所得再評価)を認めざるを
得なくなった段階で、絶対自由資本主義は破綻したことを自白し
たのに他ならないのである。
格差問題、つまり喪失才覚人たちへの度を超した財富の偏蓄
は、絶対自由資本主義人工市場似非社会化犯罪の成功を
意味するのに他ならない。
それは、具体的には、度を超した規制緩和と税率のフラット化
(累進課税の弱化)によって発生するのであって、規制緩和だけ
では起きない。
絶対自由資本主義人工市場似非社会主義経済学者たち
は、絶対自由資本主義人工市場似非社会化犯罪の共犯なの
である。
この超超巨大犯罪を阻止できないのは、それが、人為法幻覚を
前提とする民主主義トリックを使った完全犯罪として行われている
からだ。
そこでの「民」は抽象的な観念的な自由意思人幻覚だ。
人間が具体的人間として正視されるようになったのは、近代
則人為法絶対自由資本主義似非社会・幻覚国家がもたらした
悲惨・戦争に対する反省の結果である。



13 (
生命は
  個が他の個と共に生きていくシステム=社会を
  成している
)

生命は個が他の個と共に生きていくシステム=社会を成して
いる。
言い換えれば、社会は個が他の個と共に生きていく生命シス
テムとして出来ている、と言うことになる。
個である人が他の個である他者と共に生きていく人権擁護シス
テム=暫定自由制度=生命システム=現代社会(国家)である。
生命システム社会には、すべての個は他の個と共に生きていく
べし、という規範(自然法)が存在している。
この自然法に従わなかったら個(人)は生きていけない。

図A-9ー現代社会(国家)=人権擁護システム
    =暫定自由制度=生命システム
図A-9ー現代社会(国家)=人権擁護システム=暫定自由制度=生命システム


@ (事前規制)
道路交通ルール・医業・政治資金・解雇・銃刀などなど、
自由による人権侵害阻害の蓋然性が高い事柄
に対する必要最小限の事前規制による人権擁護。

※※
A (原則暫定自由)
電気・水道・ガス・道路・川・橋・鉄道・郵便など
重要なインフラを除いて、
人権(すべての人の健康で文化的な生活)の進歩向上
を託しての社会的分業(暫定自由私有財産制)。
取りあえずは当事者の意思を尊重する契約暫定自由
の原則。
原則暫定自由の結果としての出来る限りの自己責任
の原則。

※※※
B (帰属所得再評価) (事後救済補修) 
事前規制による人権擁護は必要最小限とし、
原則当事者の意思を尊重する契約暫定自由の原則、
その結果としての出来る限りの自己責任の原則。
その結果として起きてしまった人権侵害阻害・社会破壊
は、帰属所得再評価制度たる税制度(累進課税制度)と
連結一体の社会保障(補修)制度(生活保護制度)を
使って救済・補修する。
犯罪(法(自然法)に反し個々人の受忍し得ない社会的
にも放置し得ない人権侵害阻害、即ち危難を惹起せし
める行為)に対する刑罰は、責任の追及としてではなく、
その再犯の可能性を正すものとして科す。



14 (
自由と公正の意味をすり換える
   資本主義マーケット社会化詐欺
)

現代社会(国家)は、すべての人が他者と共に生きていく
(健康で文化的な生活を営んでいく)ためのシステムを成す
則自然法暫定自由制度人権擁護システム全人共生社会
(国家)である。

だが、近代絶対自由資本主義人為法マーケット社会として
説かれてきた。
たとえば、川島武宜も、こう言っていた。
曰く。
「(1) 私的所有
資本経済では、原則としてすべての財貨が商品としての
性質をおびることが要請され、したがって、原則としてすべて
の財貨の上に私的所有が成立する。
このことは、歴史的には、諸の協同体的および支配的な
人間関係の廃絶を前提とする。
法律上の技術的概念としての「所有権」は、外界的自然の
うち特に有体物(民85条)に対する私的支配を意味しており、
商品的私的所有の古典的形態であるが、人間の支配する
財貨が増加するにしたがい、「所有権」と同じ性格をもつ権利
がそれらの財貨に対しても承認されるに至った。
これらの商品的私的所有の諸権利の総体は「私有財産制度」
と呼ばれる。
私有財産制度は、商品の法的形態として資本の法的構造の
端初であるのみでなく、生産手段――したがって生産物――
の私的領有と完全無所有との社会構造的な分裂と対立の
基礎条件として資本の法的構造の基礎要素であり、近代国家
の基本法によって保障され(たとえば、日本国憲法29条)、
またその批判はしばしば重い刑罰(かつての治安維持法では
死刑)その他の法的不利益によって制裁されている。」
(川島武宜「民法T総則・物権」有斐閣3頁)、と。

しかし、憲法29条は暫定自由私有財産制(人権擁護シス
テム)を確認しているのであって、絶対自由私有財産制
=資本主義を確認などしていない。
同条2項は「財産権の内容は、公共の福祉に適合するやう
に、法律でこれを定める。」としているが、「公共の福祉」とは、
すべての人が社会(国家)を組織して他者と共に生きていく
(健康で文化的な生活を営んでいく)べし、という自然法規範
のことである。

資本主義マーケット社会化詐欺での自由とは、すべての人が
社会(国家)を組織して他者と共に生きていく(健康で文化的な
生活を営んでいく)べし、という自然法規範からの解放(自由)
を是とする幻覚・詐術である。
資本主義マーケット社会化詐欺での民主主義とは、合意(法律
(法規)と契約)を社会規範(法)としてでっち上げる幻覚・詐術の
ことである。
資本主義マーケット社会化詐欺での権力国家とは、自由民主
主義という幻覚を前提にして成り立っているマーケット社会
(資本主義)という幻覚に必須の後ろ盾幻覚・詐術である。
資本主義(マーケット社会)は、自由・民主主義・権力国家という
三大幻覚を前提に成り立っている詐術でしかないのである。

と言うことは、こう言うことだ。
近代絶対自由資本主義人工市場似非社会・幻覚国家化に
あたっては、
自由は人権侵害阻害する身分制度からの解放(自由)という
意味で使われている。
だが、資本主義マーケット社会化詐欺にあたっては、
自由は暫定自由制度人権擁護システム自然法社会(国家)
からの解放(自由)という意味で使われている。
つまり自由と公正の意味がすり替えられているのだ。
資本主義マーケット社会化詐欺は自由と公正の意味を
すり替えることによって行われているのである。


図F-6―詐欺の道具にもってこいの自由という多義語
図F-6―詐欺の道具にもってこいの自由という多義語

図C-10―自由と公正の意味をすり換える
     資本主義マーケット社会化詐欺
図C-10―自由と公正の意味をすり換える資本主義マーケット社会化詐欺



15 (自由の本義は
   人権を侵害阻害する事象からの解放
)

自由それ自体は解放の意味しか持っていない。
したがって、自由の意味は解放される被解放事象
(奴隷解放で言えば、奴隷制度)と一体を以てしか
理解できない。
自由は自由故に尊い、正しい、という事実はない。
自由にすれば、自ずと絶対自由資本主義マーケット
社会が開けてくる、という事実もない。
自由(権)が人権だ、という事実はない。
人間は、生きていく、という絶対的な目的を持った、
それでいて、社会(国家)を組織して他者と共に生きて
いく(健康で文化的な生活を営んでいく)以外に生きて
いく術のない生き物、そういう具体的人間である。
とすると、人が他者と共に生きていく(健康で文化的な
生活を営んでいく)権利(義務)が人権だ、と考えられて
くる。
また、自由の本義はこの人権を侵害阻害する事象から
の解放のはずだ、と考えられてくる。
絶対自由資本主義マーケット社会化詐欺はこの自由の
本義をすり替えることによって行われているのである。
だが、人権を侵害阻害する事象の最大のものは
絶対自由資本主義マーケット社会化詐欺だ。
すべてのものを商品化するなど、正気の沙汰ではない。
この絶対自由資本主義マーケット社会化詐欺から解放
するのも、また、自由の本義だ、と言うことになる。





図C-3―自然法と人権が顕在化し
       合意(法律と契約)と権利の意味が転化した現代
図C-3―自然法と人権が顕在化し合意(法律と契約)と権利の意味が転化した現代

図G―近代則人為法絶対自由資本主義がもたらした
     悲惨が現代則自然法社会を生んだ
図G―近代則人為法絶対自由資本主義がもたらした悲惨が現代則自然法社会を生んだ


図F-2−「人の作る法」幻覚が支える
      資本主義人工市場似非社会化犯罪
図F-2−「人の作る法」幻覚が支える資本主義人工市場似非社会化犯罪











         社会保険労務士
         特定行政書士
         ワークスタイルコーディネーター
         現代自然の法治社会研究家
            岩崎 秀政