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資本主義似非社会化犯罪によってまで経済成長求める病的倒錯
                       (写真は長野県上高地)


第五部


 資本主義似非社会化洗脳詐欺犯罪
 によってまで経済成長求める
 病的倒錯

 ――人権擁護から
   資本主義似非社会化洗脳詐欺犯罪

   転換した中曽根政権以後

 
(資本主義似非社会化病倒)







        目 次



第1章
 先送りされてきた
  自由意思人か具体的人間か




第2章
 ひた走った
   近代則人為法絶対自由資本主義似非社会化




第3章
 認識されなかった
   則自然法暫定自由制度人権擁護システム社会(国家)




第4章
 資本主義似非社会化に転換した
   中曽根政権以後









第1章
 先送りされてきた
  自由意思人か具体的人間か




1776年
アメリカ独立宣言
1789年
フランス人権宣言
1853年
ペルーが浦賀に来航 開国求める
1867年
15代将軍徳川慶喜が大政奉還。
王政復古の大号令で天皇中心の新政府が樹立。
1868年
江戸を東京に改め、明治に改元
1871年
廃藩置県
岩倉使節団が米欧に向けて出発
1872年
学制が発布
新橋・横浜間に鉄道が開通
1873年
徴兵令
地租改正
1876年
廃刀令
秩禄処分
1889年
大日本帝国憲法発布
1914年〜1918年
第一次世界大戦
1941年
真珠湾攻撃。太平洋戦争開戦
1945年
敗戦
1946年
日本国憲法公布


朝日新聞は、2018年の今、こう問う。
「日本が近代国家への道に踏み出した明治維新から
今年で150年になる。
身分制を廃止し、西洋文明を積極的に取り入れた
日本は、憲法と議会を設け、アジアでいちはやく近代
化を成し遂げた。
だが、その富国強兵路線は、やがて植民地獲得競争と
侵略戦争へと突き進んだ。
・・・・日本にあれ以外の道はなかったのだろうか。」
(「近代日本の光と影」2018・8・22朝日新聞朝刊)、と。


三谷太一郎曰く。
「日本の近代は、日本が国民国家の建設に着手した
19世紀後半の最先進国であったヨーロッパ列強を
モデルとして形成されました。」
「国民国家の形成を目的として始まった日本の近代は、
自立的資本主義の形成をその不可欠の手段としました。
国民国家形成と自立的資本主義の形成は不可分の
一体だったのです。そのことが日本の資本主義を特徴
づけることとなりました。」
(三谷太一郎「日本の近代とは何であったか」
岩波新書2頁、82頁)、と。


おそらく「日本にあれ以外の道はなかった」。
今、問われているのは、
資本主義か共産主義か≠ナはなく、
人為法か自然法か≠セ。
そして、それは近代においても同じことだ。
勿論、それは、国家が、人為法の後ろ盾として措定
された幻覚でしかないことを知ることに他ならない。
そして、それは、社会(国家)が全ての人が他者と共に
生きていく(健康で文化的な生活を営んでいく)ための
システムであることを知ることに他ならない。
勿論、そのためには、人間が、生きていく、という
絶対的な目的を持った、それでいて社会(国家)を
組織してみんなで生きていく以外に生きていく術を
持たない生き物であることを自覚しなくてはならない
はずだ。
そして、人権とは、人が社会(国家)の中で他者と共に
生きていく(健康で文化的な生活を営んでいく)超法規
的(自然法上の)権利(義務) であることを認識しなくて
はならないはずだ。


図Z−2―近代も今も問われているのは
    自由意思人か具体的人間か









第2章
 ひた走った
  近代則人為法絶対自由資本主義似非社会化



 (幻覚国家絶対自由資本主義似非社会  全盛・破綻期
   ――明治維新から1945年8月15日敗戦まで



1889(M22)年2月11日
大日本帝国憲法公布(11月29日発効)


「大日本帝国憲法
1876(明治9)年から政府は元老院で憲法の起草を始めた。
1881(明治14)には、大熊重信がイギリス流の政党内閣制
を提案したが、岩倉具視や参議の伊藤博文はこれを批判し、
君主の権限が強いプロイセン型の憲法をつくることをめざした。
1882(明治15)年伊藤らは渡欧して、プロイセン王国の憲法
やその運用の仕方や議会と政府との関係、官僚機構などを
学び、翌年帰国すると本格的に憲法制定の準備にとりかかった。
政府は、1884(明治17)年に華族令を定めて将来の貴族院の
土台をつくり、翌年には太政官制を廃止して内閣制度を創設し、
伊藤が初代の総理大臣に就任した。
そして政府顧問のロエスレルの助言を得ながら、憲法の起草を
始めた。
その後、1888(明治21)年枢密院を設置して、この憲法と皇室
典範の草案を審議し、1889(明治22)年2月11日、大日本帝国
憲法を発布した。
これにより日本は、アジアに先駆けて近代的立憲国家となった。
・・・・
大日本帝国憲法では、天皇が神聖不可侵とされ、国の元首として
統治権のすべてを握るなど、幅広い権限が与えられた(天皇大権)。
これらの権限については、国務大臣の補佐や議会の同意など
により行使される立憲君主制の原則が明記された。
このうち、陸海軍を握る統帥権も天皇に直属していた。
また、天皇主権のもとの三権分立であり、国務大臣は議会ではなく
天皇に対して責任を負うなど、議会より政府の権限が強力であった。
また、「臣民」とされた国民は、法律の範囲内で所有権の不可侵、
信教・言論・出版・集会・結社の自由が認められ、国政への参加の
道もひらかれた。」
(東京都教育委員会「江戸から東京へ」
平成23年度版都立高等学校地理歴史科用68頁以下)




1931年(昭和6年)9月

満州事変
日本軍、中国東北部で武力行動
1932年(昭和7年)3月
「満州国」建国宣言
1933年(昭和8年)
国連、「満州国」を認めず
日本、脱退を通告


1937年(昭和12年)6月4日
第1次近衛文麿内閣成立
1937年(昭和12年)7月7日
盧溝橋事件、日中戦争始まる
1937年(昭和12年)8月24日
国民精神総動員実施要項を閣議で決定
1937年(昭和12年)10月11日
綿花が輸入制限となり 
ぜいたく品の輸入が禁止される
1937年(昭和12年)10月16日
「愛国公債」郵便局でも 売り出す
1937年(昭和12年)10月25日
戦時経済の計画作成に企画院設置
1937年(昭和12年)11月20日
大本営設置


1938年(昭和13年)2月1日
人民戦線第2次検挙 大内兵衛ら
1938年(昭和13年)4月1日
国家総動員法公布
国民健康保険法公布
1938年(昭和13年)4月6日
電力の国家管理実現される
1938年(昭和13年)4月10日
燈火管制規則の実施
1938年(昭和13年)6月9日
勤労動員はじまる
1938年(昭和13年)10月27日
日本軍 武漢三鎮を占領
1938年(昭和13年)11月3日
東亜新秩序建設の第2次近衛声明
  (毎日新聞社「一億人の昭和史22・26事件と日中戦争」より)


1939年(昭和14年)1月5日
平沼騏一郎内閣成立
1939年(昭和14年)1月30日
内務省 「防空壕心得帖」を配布
1939年(昭和14年)1月31日
東大 経済学部の河合栄治郎教授を休職処分(平賀粛学)
1939年(昭和14年)2月16日
ポストなど鉄製不急品の回収開始
1939年(昭和14年)3月30日
軍事教練 大学でも必須となる
1939年(昭和14年)4月26日
青年学校 義務制となる
1939年(昭和14年)5月11日
ノモンハン事件起こる
1939年(昭和14年)6月16日
ネオン全廃 学生の長髪禁止 パーマネント廃止など
国民精神総動員委員会 生活刷新案を決定
1939年(昭和14年)7月8日
国民徴用令公布
1939年(昭和14年)8月1日
物の国勢調査″sわれる
1939年(昭和14年)8月20日
ノモンハンで 日本軍敗北
1939年(昭和14年)8月30日
阿部信行内閣成立
1939年(昭和14年)9月4日
第2次大戦勃発で 株式市場暴騰
1939年(昭和14年)10月20日
価格統制「9・18ストップ令」実施
  (毎日新聞社「一億人の昭和史22・26事件と日中戦争」より)


1940年(昭和15年)1月16日
米内光政内閣成立
1940年(昭和15年)4月1日
税金 月給からの源泉徴収となる
1940年(昭和15年)4月24日
米・みそ・醤油・マッチ・木炭・砂糖など10品目の切符制が
決まる
1940年(昭和15年)7月7日
ぜいたく品の製造販売を禁止
1940年(昭和15年)7月8日
日本労働総同盟解散
戦前の労働組合運動に終止符
1940年(昭和15年)7月22日
第2次近衛内閣成立
1940年(昭和15年)9月9日
金の強制買上げが決まる
1940年(昭和15年)9月11日
政府 部落会・町内会などの整備を各府県に通達
1940年(昭和15年)9月23日
日本軍 北部仏印に進駐
1940年(昭和15年)9月27日
日独伊3国同盟調印
1940年(昭和15年)10月12日
大政翼賛会発会式
1940年(昭和15年)10月31日
東京のダンスホール閉鎖
1940年(昭和15年)11月2日
国民服が制定される
1940年(昭和15年)11月10日
紀元2600年行事 各地で挙行
1940年(昭和15年)11月23日
大日本産業報国会創立
  (毎日新聞社「一億人の昭和史22・26事件と日中戦争」より)



「・・・大衆消費の進展の一方で、社会の格差が拡大していた。
鉄筋コンクリート造りの集合住宅(「アパートメント・ハウス」)で
モダンな生活を送る人びとがいた。
他方でプロレタリア小説が描くように、
労働者や農民は過酷な生活を強いられていた。
高学歴エリートの大学生の就職難は、
「大学は出たけれど」が流行語になるほどだった。
格差是正の期待を担って成立したはずの二大政党制は、
党利党略に明け暮れた。
テロとクーデタよりも前に、
政党政治に対する国民の懐疑の念が強まっていた。
国民は政党よりカリスマ性のある政治指導者が直接、
社会を変革することに賭けるようになる。」
「・・・経済のアメリカ化は豊かな社会をもたらす。
他方で格差が拡大する。
近代日本のジニ係数
(所得格差を示す統計値。最小値0、最大値1。
格差が大きいほど数字が大きくなる)の
推計値はつぎのように上昇している。
1910(明治43)年0.357、
1920(大正9)年0.417、
1930(昭和5)年0.431、
1940(昭和15)年0.467(橋本寿朗「現代日本経済史」)。
階級格差もはなはだしい。
たとえば大企業の役員賞与と一世帯あたりの年間個人所得の比率は
1936(昭和11)年には27.9倍だった。
戦後の1955(昭和30)年の1.5倍と比較すれば、
格差は一目瞭然である(同書)。
産業間格差も無視できない。
農工間賃金格差(農低工高)は、
1920年前後はほぼゼロだったものが
昭和戦前期において最大2.5倍まで急拡大する(同書)。
このほかにも学歴、企業規模、男女の性別、都市と地方などのあいだの
格差が戦前昭和の社会に広がっていた。
今の日本の格差社会は、
戦後の「高度成長期」の格差縮小をはさんで、
戦前昭和の社会に回帰しているかのようである。」
(井上寿一「戦前昭和の社会1926-1945」(2011年)
講談社現代新書4ページ以下、6ページ以下)


「日本は1894―95年(明治27―28)の日清戦争で台湾を奪い、1904―05(明治37―38)の日露戦争で遼東半島の租借権と樺太の南半分を分捕り、1910年(明治43)の朝鮮併合によって、いわゆる帝国主義的海外進出と植民地支配を開始した。それとともに三井、三菱をはじめとする旧財閥系の独占資本が飛躍の機会をつかみ、この日本の資本主義的発展と帝国主義的海外進出を支援すべく、東京、京都、東北、九州に帝国大学が相次いで設立されていく。・・・・
日本の植民地支配に対する民族的抵抗として、1919年3月に朝鮮で「三・一蜂起」の独立運動、5月には中国で「五・四運動」なる排日運動が起きる。1931年9月、日本の関東軍が南満州鉄道を爆破しておきながら、これを中国側が行ったと言い掛かりをつけて「満州事変」に突入し、1932年2月にはほぼ満州全域を占領して、翌3月には「満州国」の建国を宣言した。アメリカはこれに激しく抗議し、イギリス人のリットンを団長とする国際連盟の調査団が、日本の行動は自衛とは認められないとし、列強による満州の共同管理を提案したため、日本は翌1933年3月に国際連盟から脱退した。
中国では抗日民族統一戦線が結成され、蒋介石の中国国民党と毛沢東の中国共産党の二次の国共合作を経て、日本への抵抗と民族解放運動が高まりを見せた。1937年7月、北京郊外の盧溝橋で夜間演習中の日本軍が中国軍の攻撃を受けたとして、いわゆる「日中戦争」が勃発した。
日本は年末までに当時の陸軍全体の3分の2に当たる16個師団を中国に投入し、華北の要地と上海、杭州、南京を占領した。翌1938年10月には武漢や広州も陥落し、これで日本は華北、華中、華南の広大な領域を占領したことになる。1931年の「満州事変」から1937年の「日中戦争」を経て、1945年の敗戦までの中国への侵略戦争を指して、「15年戦争」と呼ぶこともあるのは周知の通りだ。」
「しかし、日本は朝鮮、台湾、中国にとどまらず、1940年6月にフランス領インドシナ(現在のベトナム)の当局に迫って、援蒋物資の禁輸と日本監視団の派遣を承認させ、南進によるインドシナ進駐の機を狙っていた。アメリカはすでに対日経済制裁によって1939年7月に日米通商航海条約の破棄を通告(1940年1月発効)していたが、9月に日本軍がフランス領インドシナに進駐を開始すると同月末に鉄鋼・くず鉄の対日輸出を禁止した。つまり、中国市場の利権市場への侵害に加えて、日本の南進によるフランス領インドシナへの進駐は、アメリカにとって許し難いことでこれに強く抗議しただけでなく、対日戦争の決意を最終的に固めさせたのである。その年の9月には第二次近衛文麿内閣が日独伊三国同盟を結んだ。
1941年6月、ドイツは電撃作戦でソ連領奥深く侵入した。アメリカは同年8月、対日石油輸出全面禁止措置に踏み切った。9月の日本の政府と軍首脳の御前会議は「10月上旬頃に至るも尚我要求を貫徹し得る目途なき場合においては直ちに対米英蘭開戦を決意す」と決定した。開戦を迫る東條英機陸相と交渉継続論の近衛首相が対立するなか、10月には近衛内閣は総辞職して東條内閣が成立した。昭和天皇は12月1日の御前会議で、イギリス、アメリカ、オランダとの開戦の決定を下した。かくして、1941年12月8日の真珠湾攻撃とマレー半島上陸作戦へと至るわけである。」
(土井淑平「終わりなき戦争国家アメリカ」編集工房朔144ページ以下)



アメリカに負けたという問題ではない。
法(自然法)人権(そのもの)を否定した、
幻覚国家絶対自由資本主義欠落才覚人天下人工市場似非社会が
破綻したのである。
それは、欠落才覚人たちが限りなく豊かになるための
似非社会・幻覚国家であって、
全ての人が他者と共に健康で文化的な生活を営むべく自由に
生きてい人間社会(国家)ではない。
その破綻は避け得ないことを言うのが、
土井淑平の真意だと考えられる。


1941年(昭和16年)10月18日〜1944年(昭和19年)7月22日
東條英機内閣
1941年(昭和16年)12月8日
太平洋戦争始まる(開戦)



1942(S17)年
労働者年金保険法施行


1944(S19)年

厚生年金保険法に改称、女子の加入拡大
1944年(昭和19年)7月22日〜1945年(昭和20年)4月7日
小磯國昭内閣


1945年(昭和20年)3月9日
東京大空襲
1945年(昭和20年)4月7日〜1945年(昭和20年)8月17日

鈴木貫太郎内閣

1945(S20)年8月6日
米国が広島に原子爆弾投下
1945年(昭和20年)8月9日
ソ連、旧満州・朝鮮半島へ侵攻(対日参戦)
長崎に原爆投下
1945年(昭和20年)8月11日
ソ連、樺太(サハリン)へ侵攻
1945(S20)年8月14日
御前会議ポツダム宣言受諾を決定

「ポツダム宣言
第2次世界大戦当時の1945年7月、
米英と中国(当時の中華民国)が日本に降伏を求めた宣言。
8月にソ連も加わった。
軍国主義者の除去や軍事占領、主権制限、戦争犯罪人の処罰など
を明記しており、全13条。・・・
日本指導者が「世界征服」を狙っていたとの認識を示す記述もある。
鈴木貫太郎内閣は当初、黙殺を決めたが、
ソ連参戦や米軍による原爆投下で戦況が一段と悪化。
昭和天皇が8月14日の御前会議で受け入れを決断し、正式決定した。
翌15日、玉音放送で国民に終戦を告げた。」
(2015.6.6東京新聞朝刊)


1945年(昭和20年)8月15日
昭和天皇が放送で降伏を発表
終戦
1945年(昭和20年)8月17日〜1945年(昭和20年)10月9日
東久邇宮稔彦
ソ連、千島列島へ侵攻
「満州国」消滅
1945年(昭和20年)8月24日
スターリン、日本人捕虜のシベリア移送命令
1945年(昭和20年)8月31日
マッカーサー元帥 厚木到着
1945年(昭和20年)9月2日
降伏文書調印
1945年(昭和20年)9月9日
マ元帥「日本管理方針」を声明
1945年(昭和20年)9月11日
東條英機ら戦犯容疑者逮捕指令
1945年(昭和20年)10月4日
治安維持法廃止など指令
1945年(昭和20年)10月9日〜1946年(昭和21年)5月22日
幣原喜重郎内閣
1945年(昭和20年)11月〜1951年(昭和26年)7月
財閥解体
1945年(昭和20年)12月9日
農地改革指令

「開戦」も「敗戦」も、人為的な人工の近代社会という
幻覚国家絶対自由資本主義人工市場似非社会を
採用したことの必然の帰結である。
アメリカに負けたのではない。
幻覚国家絶対自由資本主義人工市場似非社会が
破綻したのである。
幻覚国家絶対自由資本主義人工市場似非社会は、
欠落才覚人たちが限りなく豊かになるための
似非社会・国家であって、
全ての人が他者と共に健康で文化的な生活を営むべく自由に
生きていくための人間社会(国家)ではない。








第3章
 認識されなかった
  則自然法暫定自由制度人権擁護システム社会(国家)



2 (則自然法人権擁護制度社会(国家) 顕在期
   ――日本国憲法制定施行(1947年5月3日)以降


1946年(昭和21年)1月1日
天皇 人間宣言
1946年(昭和21年)2月13日
憲法GHQ案 日本政府に交付
1946年(昭和21年)2月17日
金融緊急措置令で新円切替え
1946年(昭和21年)3月3日
物価統制令公布
1946年(昭和21年)4月22日
幣原喜重郎内閣総辞職
1946年(昭和21年)5月3日
極東国際軍事裁判開廷(東京裁判)
1946年(昭和21年)5月22日〜1947年(昭和22年)5月24日
第1次吉田茂内閣
1946年(昭和21年)5月26日
吉田首相「新憲法第9条は自衛権の発動としての戦争も
交戦権も放棄したもの」と衆院で発言
1946年(昭和21年)11月3日
日本国憲法公布
1946年(昭和21年)

第二次農地改革


1947年(昭和22年)4月1日
六・三制実施
1947年(昭和22年)4月7日
労働基準法公布

1947年(昭和22年)5月3日)
日本国憲法施行
1947年(昭和22年)5月24日〜1948年(昭和23年)3月10日
片山哲内閣
947年(昭和22年)年9月1日
労働省の発足。労働者災害補償保険事業の実施。
1947年(昭和22年)11月1日
失業保険事業の実施

1947年(昭和22年)12月22日
民法改正。


1948年(昭和23年)1月6日
ロイヤル米陸軍長官「日本を共産主義に対する防壁にする」
と演説
1948年(昭和23年)10月15日〜1954年(昭和29年)12月10日
第1次ー第5次吉田茂内閣
1948年(昭和23年)11月12日
極東国際軍事裁判判決
戦犯25被告に有罪判決
948年(昭和23年)12月23日
東條英機ら7人の絞首刑執行
1948年(昭和23年)12月24日
A級戦犯容疑者釈放


1949年(昭和24年)4月23日
1ドル=360円の単一為替レート設定
1949年(昭和24年)8月26日
シャウプ税制勧告

1949年(昭和24年)6月1日
労働組合法公布


1950年(昭和25年)6月25日
朝鮮戦争はじまる
1950年(昭和25年)7月8日
マ元帥 警察予備隊創設を指令


1951年(昭和26年)4月11日
マ元帥罷免 後任リッジウェー
1951年(昭和26年)6月20日
第1次追放解除発表
1951年(昭和26年)9月4日
サンフランシスコ講和条約会議
1951年(昭和26年)9月8日
対日平和条約・日米安保条約調印


1952年(昭和27年)2月29日
琉球政府設立を布告
1952年(昭和27年)4月11日
ポツダム指令廃止の法律布告
1952年(昭和27年)4月11日
GHQ廃止


1954年(昭和29年)5月19日
厚生年金保険法(全面改正)の実施

1954年(昭和29年)7月1日
防衛庁・自衛隊発足



1957年(昭和32年)2月25日〜1960年(昭和35年)7月19日
第1次第2次岸信介内閣


1959年(昭和34年)
新国民健保法施行(1月)。最低賃金法公布(4月)。国民年金法公布(4月)。
1959年(昭和34年)4月16日
国民年金法公布



1960年(昭和35年)5月20日
新安保条約・行政協定を強行採決
1960年(昭和35年)6月23日
新安保条約発効

1961年(昭和36年)4月1日
国民年金の拠出制の事業の実施、通算年金通則法施行。
1961年(昭和36年)6月12日
農業基本法公布


1975年(昭和50年)4月1日
失業保険法の廃止、雇用保険法の施行。








第4章
 資本主義似非社会化に転換した
  中曽根政権以後



 (幻覚国家絶対自由資本主義似非社会化 初期
   ――中曽根康弘政権(1982年11月27日〜)→宮澤政権


1982年(昭和57年)11月27日〜1987年(昭和62年)11月6日

第1次第2次第3次中曽根康弘内閣
「防衛費突出的増大、社会保障費の伸び率を上回る」
(林直道「強奪の資本主義」P226)


1983年(昭和58年)2月1日
老人保健法の施行。老人保健制度スタート。無料化を廃止。

老人保健実施当初は定額負担。平成14年10月1日から定率(1割。高所得者2割)に引き上げられた。
1983年(昭和58年)
税制のフラット化が始まる前の昭和58年(1983年)分の所得税率は、
次の如きであった。

昭和58年度分所得税率表
 (伊東稔博「所得税法解説ー課税要件と凡例・裁決例−」
 財経詳報社202ページより)


1985年(昭和60年)5月17日
男女雇用機会均等法成立
(1986年4月施行)。


1986年(昭和61年)4月1日
基礎年金導入に伴う新国民年金法、新厚生年金保険法、新共済組合法施行。

第3号被保険者(第2号被保険者の被扶養配偶者)の保険料は、配偶者が加入している被用者年金制度から国民年金制度に対して、拠出金として拠出され、個別に納付する必要はない。


1987年(昭和62年)
1人あたりのGDP競争で日本がアメリカを追い抜いた。
株価・地価暴騰のバブル起こる。
1987年(昭和62年)4月1日
国鉄がJR5社とJR貨物に分割・民営化されだ。


1989年(昭和64年・平成元年)
消費税施行。


1990年(平成2年)
株価大暴落(1月)。地価暴落。バブル崩壊不況開始。


1991(H3)年2月(〜1993(H5)年10月)
平成不況に陥った
(佐和隆光「この国の未来へ」P27)


1992(H4)年
相続税率の累進が引き下げられる前の平成4年(1992年)度分の相続税率は、
次の「相続税の速算表」にある如きであった。
平成4年度分相続税の速算表
              (「相続税の申告のしかた平成4年分用税務署」より)


1993(H5)年
コメ部分自由化を受け入れ。企業のリストラ本格化。
1993(H5)年
宮沢喜一首相とクリントン大統領の会談で、「年次要望書」が定められた。

「今ではアメリカからの一方的な命令書といっても過言ではないものとなっている。」(ベンジャミン・フルフォード「騙されるニッポン」P88)。


1994(H6)年
「クリントンの強い要望で、1994年の村山政権から相互に要望書を出し合うことになり、アメリカからの要求が「年次改革要望書」として毎年、日本に送られてきた。
「年次改革要望書」は英語では、Annual Refrm Recommendationであって、本来はアメリカ政府の「毎年の日本政府に対する勧告書」と訳すのが正確な日本語である。この文書の邦訳は「要望書」とされており、実体は「勧告書」というよりも「強い要求・命令」である。」
(菊池英博「そして、日本の富は略奪される」ダイヤモンド社139ページ以下)
「1994年からの「年次改革要望書」によって、すでに多くのことが実現している。主なものを挙げていくと、建築基準法の改訂(安全基準の緩和)、商法の改訂(外資による企業買収をやりやすくする)、金融の自由化(1997年の金融ビッグバンとしての金融規制を大幅に緩和した)、郵政公社の民営化(政府保有の公社では民間と公平でないとして、郵政公社の民営化の実現を要求、2005年に実現)、政府の医療支出の削減と混合診療の認可を要求(アメリカの薬品の販売拡大と医療保険の拡販、日本の国民皆保険を不可能にさせる)、時価会計の導入(デフレの日本に導入させて企業を弱体化させる)、司法制度改革(民事訴訟の活発化による日本企業の弱体化、裁判所による行政への牽制、裁判員制度の導入(ただし刑事事件に限る))、大店法の改訂(外資のスーパーが日本に進出しやすくするために、大手スーパーの郊外店舗拡張を認可させた。これで小売り商店は廃業に追い込まれてシャッター通りに)、労働基準法の改訂(人材派遣の自由化、1996年には労働者派遣法の改訂によって、それまで秘書・通訳など16の専門業種に限定していた派遣の対象業種を26に増やし、1999年には一部を除き、原則自由とした)などである。
労働基準法の改訂では、さらに2004年の改訂で派遣労働の期間を1年から3年まで延長し、それまで除外されていた製造現場や社会福祉施設での派遣労働も認め、派遣受け入れの許可や届出を事業所単位から事業主単位とした。この改訂を契機として、企業は正社員を減らし、派遣労働の割合を増やして、実質的な賃金の引き下げが可能になったのである。
また「年次改革要望書」によって、アメリカは経営者による従業員の解雇をやりやすくするために労働基準法の改訂を要求し、さらに、税制改革として累進課税の緩和、フラット税制の導入、法人税の減税、消費税の増税を要求してきた。これを受けて、日本は2007年度から地方税に一律10%のフラット税制を導入し、2012年3月に法人税減税を実現、8月には消費税増税法案を成立させた。
基礎年金の税方式(基礎年金の企業負担4兆円をゼロにして消費税で負担させる案であって、賛同する自民党と民主党の国会議員が共同で検討中である)もアメリカの要求であり、これが実現すると、大企業の社会保障費の負担が減り、その分を外資は配当金で持ち去ろうとしている。
このようにアメリカの要求は、「1%」の人間の利益を目指した要求であり、いずれも「99%」の日本国民にとっては不利になるものばかりだ。まさに悪魔の侵略である。」
(菊池英博「そして、日本の富は略奪される」ダイヤモンド社145ページ以下)。
1994(H6)年
「今後における規制緩和の推進等について」(閣議決定)、行政改革委員会を設置、その下に規制緩和小委員会を設置。
1994(H6)年11月9日
厚生年金保険の定額部分の支給開始年齢の引き上げ等を含む年金制度の改正法公布。


1995(H7)年
日本経営者団体連盟(日経連)が、「新時代の『日本的経営』」を発表。雇用形態を正社員、研究開発など専門家、非正規社員の三つに分類するよう提案。


1996年(平成8年)1月11日〜1998年(平成10年)7月30日
第1次第2次橋本龍太郎内閣

1996(H8)年
労働者派遣法改正、派遣の対象業務を26に増やした。


1997(H9)年
消費税5%に引き上げ(4月)。女子労働保護規制撤廃(6月)。医療保険自己負担2割に(9月)。北海道拓殖銀行、山一証券倒産(11月)。
1997(H9)年
米「年次要望書」が、「外国のスーパーマーケットの日本への出店」について要望。

「98年には大規模小売店舗立地法が施行。郊外型のホームセンターが日本各地に次々と建設され、地場の商店街は大打撃を受けた。」「アメリカは世界で最も格差の大きな国となった自国の市場原理主義を日本にも広め、日本人が蓄積してきた富を奪おうと規制緩和を要望し続けている。」(ベンジャミン・フルフォード「騙されるニッポン」P88、P91)。


1998(H10)年
宮内義彦が橋本内閣の下で発足した規制緩和委員会で委員長になる。
1998年(平成10年)7月30日〜2000年(平成12年)4月5日
小渕恵三内閣
1998(H10)年
竹中平蔵が、小渕恵三内閣の下で発足した経済戦略会議のメンバーとなった。

「メンバー入りに当たっては、当時一橋大学教授で、自民党政権に近かった中谷巌氏の誘いがあったようです。」(内橋克人「悪夢のサイクル」P127)。


1999(H11)年
規制緩和委員会が規制改革委員会に名称変更。
1999(H11)年4月
改正男女雇用機会均等法と改正育児・介護休業法が全面施行。
1999(H11)年
公的年金法改正。年金支給開始後の賃金スライドはすべて廃止。
1999(H11)年
最高税率引き下げ、所得税37%、個人住民税13%、合わせて50%に。
「日本の税制は、お金持ちにとても優しくできています。まず、所得税です。所得税の最高税率は、1974年の75%からどんどん下がり、1999年には37%まで引き下げられました。2007年から地方税の最高税率を13%から10%に引き下げるのと引き換えに40%に引き上げられましたが、それでも税率は、74年のほぼ半分です。」(森永卓郎「年収120万円時代」P89以下)。
「累進課税は不公平だという主張がある。一生懸命働いて多くの所得を手にした人に高い税率を課し、熱心に働かず少しの所得しか得られない人の税率を低くするのは不公平だというのだ。もし、それが山奥に暮らし、自給自足の環境であればたしかにそうかもしれない。しかし、地域社会に住む人間が一人で生産できるものなどほとんどない。そのような状況では、社会に対する個人の貢献度を正確に割り出すことなど不可能なのである。道路や鉄道、学校や病院、警察、その他もろもろの社会のインフラやサービスを利用したからこそ生産ができるのである。いくら『自分の所得』だと主張しても、何をもって公平な分け前とするかは結局社会が決めることだ。」(ビル・トッテン「愛国者の流儀」P244)。
1999(H11)年
労働者派遣法改正。一部を除き原則自由化。

「平成11年の労働者派遣法改正は、派遣事業に関する経済界の大幅規制緩和の要請に応じて、制定以来の限定列挙(ポジティブ・リスト)方式を改め、港湾運送、建設、警備、医療関係、製造工程以外の業務については労働者派遣を行うことができるとのネガティブ・リスト方式を採用した(4条1項3項、附則4条、労派令2条)。」(菅野和夫「労働法第七版」P186)。


2000(H12)年3月31日
厚生年金保険の報酬比例部分の支給開始年齢の引き上げ等を含む年金制度の改正法公布。

2000年(平成12年)4月5日〜2001年(平成13年)4月26日

第1次第2次森喜朗内閣
2000(H12)年4月1日施行
介護保険制度発足
(4月)。
2000(H12)年
米「年次要望書」が、「外国企業のより積極的な日本への参入」と「企業合併の簡素化の推奨」を要望。

この要望は、「03年の商法改正、05年の新会社法の施行へとつながった。その結果、企業買収などが容易になり、昔ながらの日本企業は外資による買収の脅威を感じながらビジネスを進めていくようになった。また、この規制緩和がソフトバンクやライブドア、楽天、グッドウィルなどの急成長の原動力になったことは言うまでもない。」(ベンジャミン・フルフォード「騙されるニッポン」P89)。






4 (幻覚国家絶対自由資本主義似非社会化 中期
   ――橋本政権→小渕政権→
     第1次第2次小泉純一郎政権(2001年4月26日〜)



2001年(平成13年)4月26日〜2006年(平成18年)9月26日

第1次第2次小泉純一郎内閣
竹中平蔵が経済財政政策担当大臣となった。
「厳しい国際経済情勢の下、『強い経済』『成長できる経済』にしなければ、国民全体の経済厚生は高まらない。そして力強く成長できる経済をつくるには、規制緩和と競争政策が必要だ・・。」(竹中平蔵2007.9.18日経朝刊)。
竹中平蔵には、ミルトン・フリードマン同様、
明らかに「(本物の)神の見えざる手=正義(公平)感法(自然法)感覚」が
欠落している。
2001(H13)年
経済財政諮問会議設置(1月)。内閣府に総合規制改革会議を設置

「政治家が本来やるべき仕事を丸投げしているのです。政府の規制改革会議は政治家が規制緩和について専門家の意見を聞く場ではなく、規制緩和の推進を目的とした場になっています。政策決定まで委ねてしまうのは本末転倒でしょう」(清家篤2007.9.24日経新聞朝刊)。
2001(H13)年6月
「今後の経済財政運営及び経済社会の構造改革に関する基本方針」を示す。
「・・事前規制型から事後チェック型行政への移行に対応し、司法制度を見直します。」「医療、介護、福祉、教育などの分野に競争原理を導入します。」「民間の自由な経済活動を阻害する規制を撤廃します。」
2001(H13)年9月11日
アメリカ同時多発テロ。

「同時爆発テロにアメリカ政府が関与していたことを示す証拠が多すぎる。」(ベンジャミン・フルフォード「騙されるニッポン」P114)。
「ネットバブルが崩壊して景気低迷がはっきりとしてきたときに生じたのが、2001年9月11日の同時多発テロでした。」「そしてアメリカは、2001年11月、テロリストの温床といわれたアフガニスタンへの攻撃を開始しました。」「この戦争でアメリカは結果的に、膨大な『賞味期限切れ』の兵器を使い切りました。近代兵器の主要部分は、半導体などのエレクトロニクス製品などからできていますので、不況の最大の原因であるIT関連の過剰設備はともかく、IT関連企業の在庫調整が急速に進むことになりました。」(相沢幸悦「品位ある資本主義」P78以下)。


2002(H14)年
健康保険法改定。サラリーマン本人医療費自己負担3割に(7月。2003年4月より実施)。
構造改革特区法の制定。
建物の区分所有等に関する法律改正。

「集合住宅の所有関係を定めた区分所有法では、『区分所有者と議決権の各5分の4(80%)以上の賛成』があれば建て替えを決議できる。一方、建て替えに参加しない人は『時価』で持分の売却を求められる。この決議は、以前は建物の『老朽化』や、修理に『過分の費用』がかかる場合にできるとされていた。だが、02年の法改正で、こうした要件は廃止された。」(2008.4.15朝日新聞朝刊)。


2003(H15)年3月20日
アメリカがイラク侵攻を開始。

「アメリカの『テロとの戦い』の主要な目的はイラクの石油を手に入れることだか、それに付随してもう一つの目的がある。それは、軍需産業と『戦争サービス産業』を儲けさせることである。」(ビル・トッテン「愛国者の流儀」P181)。
2003(H15)年
小泉政権が、2003年から5年間、上場株式等を金融商品取引業者等を通じた売却による株式譲渡益と上場株式等の配当等所得を一律10%の源泉分離課税にする。金融商品取引業者等を通じて上場株式等を売却したことにより生じた損失の金額のう
ち、その年に控除しきれない金額については、翌年以後3年間にわたり、確定申告により株式等の譲渡益の金額から繰り越し控除できることとされた。
「株式売却益については、所得税と地方税を合わせて売却益の10%を払えば納税が完了します。デイトレーディングで一瞬で数百億円を稼いでも10%で済むのです。こんな税制を採っている国は、先進国では日本以外にありません。」(森永卓郎「年収120万円時代」P90)。
この「証券投資の優遇は拝金主義を生み出すには十分だったのである。」(中野雅至「格差社会の結末」P61)。
相続税の最高税率が70%(20億円超金額)から50%(3億円超の金額)に引き下げられた。相続時精算課税制度が創設された。
日本郵政公社発足(4月)。
平成15年(2003年)度税制改正により導入された証券投資優遇税制は、平成19年度税制改正により1年延長され、平成21年度税制改正により3年延長され、平成23年度税制改正により2年延長され、結局、平成25年末まで延長された。

2003(H15)年

労働者派遣法改正。製造工程にも労働者派遣を行えるようにした。

「労働者派遣法については、働き方の多様化に対応し、かつ労働市場の需給調整機能を強化するためのさらなる規制緩和が求められ、平成15年に再度の改正が行われた。同改正は、まず、厳しい国際競争にさらされた製造業における労働力需給調整に配慮し、それまで労働者派遣の対象業務から除外していた『物の製造』業務を対象業務に含めて、製造工程にも労働者派遣を行えるようにした・・。」(菅野和夫「労働法第七版」P186)。


2004(H16)年
規制改革・民間開放推進会議が発足。
2004(H16)年
改正労働者派遣法(2003年6月成立)施行。
 派遣労働の期間を1年から3年までに延長。除外されていた製造現場や社会福祉施設での派遣を認める。派遣受け入れの許可や届け出を事業所単位から事業主単位とした。
「これで製造業の労働者、つまり『ブルーカラー』は経営者の言いなり、アメリカ並みのWフラット賃金Wを押し付けられることになりました。役職就任はもちろん、40歳になっても50歳になっても所得はまったく上がりません。」(森永卓郎「年収120万円時代」P27)
2004(H16)年
米「年次要望書」が、「日本郵政公社の民営化」を要望。
2004(H16)年
公的年金制度抜本改正。マクロ経済スライド方式(調整)。
「物価(賃金)上昇率から0.9%を差し引いた率が年金額の上昇率になる。」厚生年金保険料2017年18.3%まで、毎年0.354%ずつ引き上げ。国民年金保険料2017年16,900円まで、毎年280円ずつ引き上げ。
2004(H16)年12月1日
民法現代語化改正公布

「(基本原則) 第1条 私権は公共の福祉に適合しなければならない。2 権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行われなければならない。3 権利の濫用は、これを許さない。」


2005(H17)年6月
会社法成立。

「基本的な特徴は、自由化あるいは柔軟化を徹底的に推し進めたことです。会社法そのものが、いわば『規制緩和の象徴』ともいうべき内容になっています。」(浜辺陽一郎「会社法はこれでいいか」P12)。
2005(H17)年8月
郵政選挙で自民党が圧勝。
小泉純一郎首相が、詐称自由(資本)主義欠落才覚人天下人工市場似非社会・国家主義色を強化することを明言していたら、自民党が圧勝することは、絶対にあり得なかった。小泉純一郎首相はだましたのである。
2005(H17)年10月
郵政民営化法成立。

「私の記憶が確かなら、郵政民営化はもともと財政投融資の改革から始まったはずである。特殊法人に流れる郵便貯金のお金を阻止するためということだったが、それがいつのまにか『民間でできるものは民間に』と、民営化そのものが目的となり、2007年10月、郵政三事業(郵便・簡易保険・郵便貯金)が民営化された。」(ビル・トッテン「愛国者の流儀」P125)。
「護送船団という揶揄ほど日本の金融政策に巨大な負の力を加えたものはなかった。・・多くの人々がこのワンフレーズに洗脳された。少なくとも、銀行を通じる間接金融方式は、証券発行を基本とする直接金融方式に転換されるべきだという観念に日本人が支配された。郵政の民営化などその最たるものである。政府系金融機関はもとより、民間銀行の数が激減させられた。」(本山美彦「リスク売買ビジネスの歪み」世界2008.3月号)。
道路公団民営化。政府保有株の市場放出には10〜15年かかる。


2006(H18)年1月
ライブドアの堀江貴文元社長が証券取引法違反の容疑で逮捕された。

2006(H18)年5月1日
会社法(ほとんどの部分)施行。
会社法の目玉」=最低資本金制度の廃止
「最低資本金制度は廃止されましたが、それに伴い、剰余金分配を行うには、純資産額が最低300万円以上あることが必要とされました(会社法458条)。」(宍戸善一「会社法入門<第5版>」P174)。
株式会社は、法務省令で定めるところにより、各事業年度に係る計算書類(貸借対照表、損益計算書その他株式会社の財産および損益の状況を示すために必要かつ適当なものとして法務省令で定めるものをいう)および事業報告ならびにこれらの附属明細書を作成さなければならない(会社法435条2項)。「その他株式会社の財産および損益の状況を示すために必要かつ適当なものとして法務省令で定めるもの」として、株主資本等変動計算書および個別注記表が規定された(計算規則91条1項)。「したがって、会社法における計算書類は、貸借対照表、損益計算書、株主資本等変動計算書および個別注記表である。」(太田達也「会社法決算のすべて」P48)。
「利益処分案(または損失処理案)については、剰余金の配当(会社法454条)、資本の部の計数の変動(同法447条・448条・450条〜452条)、役員賞与(同法361条1項等)など他の手続に分解・整理され、決算の確定手続とは無関係に随時行うことができるものとされるため、会社法上は、特に規定されない。すなわち、利益処分案は制度上廃止される。剰余金の配当は、利益処分案の承認をもって行うという手続ではなく、株主総会において剰余金の配当に関する議案の承認を経て、その承認に基づいて行うという手続になる。それは、定時株主総会に限定されず、臨時株主総会の決議でもできる。」(太田達也「会社法決算のすべて」P98)。
「2006年の会社法施行で、取締役解任は旧商法の特別決議から、過半数で承認の『普通決議』になった。取締役解任では、米国では正当な理由なしに提案できないことが多く、日本のほうが株主有利といえる。太田洋弁護士は『日本の会社法は米国より株主の権利が強い面もある』と指摘する。」2008.4.15東京新聞朝刊)。
2006(H18)年6月
村上ファンドの村上世彰元社長がインサイダー取引容疑で逮捕された。
医療制度構造改革関連法が成立。

「医療を中心に伸び続ける社会保障費をどうするのか。その抑制に大きな役割を果たした舞台装置が、『小泉首相ー竹中経済財務相(いずれも当時)』が仕切った経済財政諮問会議だ。中心は、医療費の伸びを経済の身の丈にあわせ、名目GDPなどと関連させて総額管理する指標を導入できないかという議論だった。」「諮問会議のプレッシャーを受けながら、厚労省は05年10月、後期高齢者医療制度を含む医療制度構造改革関連試案を作り、年末に政府の『医療制度改革大綱』を作り、年末に政府の『医療制度改革大綱』ができた。2025年度の医療給付費を56兆円から48兆円へと抑制する内容。その具体策が70〜74歳の高齢患者の負担の1割から2割への引き上げだった。06年5月17日、自民・公明両党は医療制度改革関連法案を衆院厚生労働委員会で採決、両党による賛成多数で可決した。」(2008.4.24朝日新聞朝刊)。
「後期高齢者医療制度 75歳以上が加入する独立した医療制度。経済財政諮問会議の民間議員の医療への公的給付抑制を求める声を背景に、05年12月に政府・与党がまとめた医療制度改革案に盛り込まれた。入院期間が長いといった理由で老人医療費が高い都道府県ほど、そこに住む高齢者の保険料が高くなるのが原則。給付と負担の連動が見えやすい仕組みを利用し、地域ごとに医療費増大を抑制させるのが狙いだ。対象者は約1300万人で、保険料は2年ごとに見直す。」(2008.4.15朝日新聞朝刊)。
2006(H18)年
市場化テスト法の制定。
2006年(平成18年)9月26日〜2007年(平成19年)9月26日
第1次安倍晋三内閣
2006(H18)年11月16日
ミルトン・フリードマン死去
。94歳。
「フリードマンが自らを『自由主義者(リベラル)』というときの自由主義(リベラリズム)は17世紀イギリスのジョン・ロック(1632〜1704年)の思想にまでさかのぼる、『何人も自己の運命を自分の自由意志で切り開く自由がある』という思想である。ただし、『他人の同じ自由を妨げない限り』という条件がつく。」(岩田規久男「『小さな政府』を問いなおす」P61)。
「フリードマンの所説で興味深いのは、アダム・スミスの言う『神の見えざる手』の働きを、人間の経済活動のみに限定するのではなく、ありとあらゆる人間活動にまで押し広げる点である。」(佐和隆光「漂流する資本主義」P78)。
(本物の)神の見えざる手が欠落した典型的な欠落才覚人だったようだ。
2006(H18)年
平成18年度の派遣労働者数は321万人であった。
日雇い派遣を含む登録型派遣を扱う一般労働者派遣事業者の2006年度の平均マージン率は、厚生労働省の調査で32.1%。」(2008.3.17東京新聞朝刊)。
2006(H18)年
生活保護107万世帯に。ワーキングプア1千万人超に。

「06年度の1カ月平均の生活保護世帯数は107万5820世帯で、前年度より3万4312世帯増え、過去最多を更新したことが・・、厚生労働省の社会福祉行政業務報告で分かった。」(2007.9.29朝日新聞朝刊)。
「広がる『ワーキングプア(働く貧困層)』。1年間働いても200万円以下しか収入がない人は、06年に1千万人を超えた。」(2008.4.30朝日新聞朝刊)。


2007(H19)年5月1日
2007年、新会社法の中の三角合併制度が施行された。手ぐすねしいて待っていた(としか思えない)シティグループが、日興コーディアルグループを完全子会社化したことは記憶に新しい。アメリカ政府の要望通り、シティグループはお金を使わずに日興を買い取った。CEOが辞任に追い込まれるほどサブプライムローン問題で巨額な損失を出したシティは、日本政府の規制改革によって、お金を払わず自社の株式を使って東証上場を果たすことができるわけだ。」(ビル・トッテン「愛国者の流儀」P121以下)。
2007(H19)年7月29日
第21回参議院選挙において、自民党大惨敗、民主党など野党が大勝。
2007(H19)年8月
サブプライムショック

「サブプライムローン 低所得者や過去にローンを延滞するなど信用力の低い人向けの米国の住宅ローン。当初の一定期間は低金利、利子のみ返済すればいい、などの融資方法で普及。住宅価格の上昇を前提に十分な審査なく貸し出された。複数の借り手のローン債権を組み合わせ、証券化と呼ばれる金融手法で世界中の投資家に販売された。米国の住宅価格の下落とともに焦げ付きが増え、関連証券化商品の価格は下落。世界の金融機関の損失は約100兆円とも試算される。」(2008.3.23朝日新聞朝刊)。
2007年(平成19年)9月26日〜2008年(平成20年)9月24日
福田康夫内閣
2007(H19)年9月25日
福田康夫内閣発足。
2007(H19)年10月1日
政府が全額出資する日本郵政公社が行ってきた郵便、貯金、簡易保険の3事業を10月1日付で民営化。
持ち株会社=日本郵政株式会社。郵政事業株式会社、郵便局株式会社、株式会社ゆうちょ銀行、株式会社かんぽ生命保険。2017年政府保有株の市場開放完了予定。
2007(H19)年
「ホワイトカラー・エグゼンプション」「解雇の金銭解決」を盛り込んだ労働基準法の改正は見送られた。
それ自体は必ずしも間違ってはいないかもしれない。
しかし、それをやるなら、同時に、累進課税を強化すべきだろう。


2008(H20)年3月1日
労働契約法 (2007年11月28日成立)施行

契約は法律である、という意識が、「労働契約法」を作らしめた、
と考えられる。

「労働者及び使用者が労働契約を締結する場合において、使用者が合理的な労働条件が定められている就業規則を労働者に周知させていた場合には、労働契約の内容は、その就業規則で定める労働条件によるものとする。ただし、労働契約において、労働者及び使用者が就業規則の内容と異なる労働条件を合意していた部分については、第12条に該当する場合を除き、この限りではない。」(7条)。
「使用者が就業規則の変更により労働条件を変更する場合において、変更後の就業規則を労働者に周知させ、かつ、就業規則の変更が、労働者の受ける不利益の程度、労働条件の変更の必要性、変更後の就業規則の内容の相当性、労働組合等との交渉の状況その他の就業規則の変更に係る事情に照らして合理的なものであるときは、労働契約の内容である労働条件は、当該変更後の就業規則に定めるところによるものとする。」(10条本文)。
合理性と周知は法律を法律たらしめる本質的な条件である。
勿論、合理性は法(自然法)正義(公平)に照らして見た場合の、
社会的な政策的な合理性である。
☆☆
「就業規則で定める基準に達しない労働条件を定める労働契約は、その部分については、無効とする。この場合において、無効になった部分は、就業規則で定める基準による。」(12条)。「就業規則が法令又は労働協約に反する場合には、当該違反する部分については、第7条、第10条及び前条の規定は、当該法令又は労働協約の適用を受ける労働者との間の労働契約については、適用しない。」(13条)。
☆☆☆
「使用者が労働者に出向を命ずることができる場合において、当該出向の命令が、その必要性、対象労働者の選定に係る事情その他の事情に照らして、その権利を濫用したものと認められる場合には、当該命令は、無効とする。」(14条)。「使用者が労働者を懲戒することができる場合において、当該懲戒が、当該懲戒に係る労働者の行為の性質及び態様その他の事情に照らして、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、当該懲戒は、無効とする。」(15条)。「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする。」(16条)。
勿論、この場合の合理性も、法(自然法)正義(公平)に照らして見た場合の、社会的な政策的な合理性である。
008(H20)年4月1日
改正パート労働法施行

仕事内容や労働時間が正社員とほぼ同じで、異動や転勤もあるパート労働者に対して差別待遇を禁止するのが柱。
改正健康保険法等平成20年4月施行分施行。
現役並み(一定以上)所得者を除く、70−74歳の医療機関での窓口負担割合を、1割から2割に引き上げ予定を、1年間据え置き。75歳(障害のある65歳)以上は4月から、都道府県単位の後期高齢者医療制度に加入。年金額が18万円以上なら年金から保険料を天引き。
008(H20)年4月25日
大阪高裁が松下PDP対して偽装請負に雇用を命じる判決を出した。
「『当初から両者の間には労働契約が成立している』として、毎月24万円ずつの賃金を支払い続けるよう同社に命じた。請負契約は無効だとしたうえで、労働の実態をみて直接雇用を命じた形だ。」「判決はまず、吉岡さんの労働実態について『松下側の従業員の指揮命令を受けていた』と認定。吉岡さんを雇っていた請負会社と松下側が結んだ業務委託契約は『脱法的な労働者供給契約で、中間搾取(給料のピンハネ)を禁じた労働基準法や職業安定法に違反する』として無効だと判断した。判決が松下PDPと吉岡さんの間に雇用契約を認めたのは、両者の間に当初から使用従属関係があったことなどを踏まえたものだ。」(2008.4.26朝日新聞朝刊)。
労働実態から、「松下PDPと吉岡さんの間には、当初から使用従属関係があった」と考えられた。この事実は、両者間に当初から雇用労働行為が事実として存在している、ということを意味しているのに他ならない。とすると、当然当該雇用労働行為をめぐって惹起される、危難の予防を目的とした法律たる、「労働契約が当初から両者間に成立している」はずなのである。
2008(H20)年9月15日
アメリカ大手の投資銀行リーマン・ブラザーズが連邦破産法11条(日本の民事再生法)を申請して事実上倒産。

正義(公平)・法(自然法)に適わなくなった企業は、それ故に、どんな大きな企業でも、必ず崩壊するのである。
008(H20)年
「拡大する非正規雇用者。それは格差や社会保障制度の疲弊にもつながる。それでも日本経団連は、長期派遣労働者の雇い入れ義務の廃止や、建設業などへの派遣の開放を求め、いっそうの活用を図ろうとしている。」(2008.3.18東京新聞朝刊)。
「世界一の経済大国で貧困に苦しむ人々を取材して感じるのは、米国社会の一部で民営化や市場原理の導入が行き過ぎたことだ。政府は、国民の生存権を守るという『公』の役割を十分に果たさなくなった。富裕層から多く集めた税金を、教育や医療を通して中間層に再分配する機能が低下した。富裕層と貧困層へ、社会の二極化が進んでいる。」「我々は米国社会の後追いをするのか、別の道を探るのか。サブプライム問題は日本人に対しても、どんな社会を選ぶのか、問うている気がする。」(堤未果「貧困生んだ社会直視を」2008.3.23朝日新聞朝刊)。
2008年(平成20年)9月24日〜2009年(平成21年)9月16日
麻生太郎内閣
2008(H20)年12月 
「構造改革」(資本自由自己責任主義色の強化)の旗手だった中谷巌が、「資本主義はなぜ自壊したのか」(集英社インターナショナル)を著し、「転向」を表明。


2009(H21)年1月20日
バクラ・フセイン・オバマ・ジュニアがアメリカ第44代新大統領に就任

「ワシントンでおこなわれた大統領就任式は、黒人大統領の誕生による『平等社会』のスタートを祝う日だったはずですが、その国家は、あまりにも悲惨な経済的地獄にありました。
 しかも、『地球上で最も嫌われている国家アメリカ』でした。この表現は偏見ではなく、多くのアメリカ人の思いでした。ライバル共和党の大統領候補ジョン・マケインを圧倒的に打ち破り、全米が大統領選挙のオバマ勝利にわきあがった翌日、2008年11月5日に“ニューヨーク・タイムズ”のヒトコマ漫画が描いたのは、知性あるアメリカ人自身の魂の中から噴出してくるある種の深い感激でした。その漫画では、公園のベンチに座って、疲れ切ったヨレヨレの老人『アメリカ』に対して、オバマが元気そうに語りかけていました。『REDY TO REJOIN THE WORLD? もう一度、僕と一緒に、世界の仲間に戻るんだよ、いいかい』と。」(広瀬隆「資本主義崩壊の首謀者たち」集英社新書8頁以下)。
2009(H21)年8月31日 
45回衆議院議員総選挙で、民主党が単独過半数(241議席)を大幅に上回る308議席を獲得。自民党は公示前勢力の3分の1余に激減する歴史的な惨敗。
「国民の生活が第一」という民主党のスローガンが多生共存・自由共生の法(自然法)に適っていることを直感した多数の国民が、資本自由自己責任主義原理主義に傾斜度を強めてきた自民党・公明党連立政権に愛想をつかせ、民主党に票を投じた結果に他ならない。これからの問題は、民主党も国民(メディア)も、多生共存・自由共生の法(自然法)が古今東西の人間社会に普遍的に存在することを意識的に知っているわけではない、という事実にある。
2009年(平成21年)9月16日〜2010年(平成22年)6月8日
鳩山由紀夫内閣
2009(H21)年9月17日 
民主党の鳩山由紀夫代表が、16日招集された特別国会の首相指名選挙で第93代首相に選ばれ、同日夜、民主、社民、国民新の3党による鳩山連立内閣が正式に発足した。

「年次改革要望書は、ビル・クリントン政権、宮沢喜一首相時代の
1993年に合意がなされ、1994年から始まった。
2009年に鳩山由紀夫首相が廃止。」
(白井聡「戦後政治を終わらせる」NHK出版新書168頁)


2009(H21)年

「2009年度に全国で生活保護を受給した世帯(月平均)は、推計で前年度より約12万世帯増えて約127万世帯に上り、過去最多を更新
する見込みであることが9日、厚生労働省の集計で分かった。
17年連続の増加で、低年金の単身高齢者の増加に加え、現役世代の間でも、不況による失業や収入の目彫りで生活に苦しむ人が増えた影響が大きいとみられる。
年度別でみると、バブル経済が崩壊した1992年度の約58万世帯を底に増え続け、05年度には百万世帯を突破した。」
「また、09年度の月平均受給者数は、推計で前年度比約17万人増の約176万人で、63年度並みの水準になるとみられる。受給者数は、95年度の約88万人を底に、以降増加が続いている。」(2010・6・10東京新聞朝刊)。


2010年(平成22年)6月8日〜2011年(平成23年)9月2日
菅直人内閣

2010(H22)年6月8日 
「民主党と国民新党による菅連立内閣が8日、正式に発足した。菅直人首相は就任会見で、経済、財政、社会保障を立て直して『最小不幸社会』を目指す考えを明らかにした。」「菅首相は、『政治の役割は、貧困や戦争など国民や世界の人が不幸になる要素をいかに少なくしていくかだ』と意気込みを語った。さらに『強い経済、強い財政、強い社会保障を一体として実現する』という目標を示し、そのための成長戦略として、環境分野や医療・介護分野への重点配分や、アジアの成長を日本経済につなげる考え方を強調。」(2010・6・9朝日新聞朝刊)。
「就任間もない菅直人首相は、経済成長と財政再建は両立できると訴えている。だがラトゥーシュ氏は、『欧州の政治家も同じようなことを言っているが、誰も成功していない』と批判する。」(2010.7.13朝日新聞夕刊)


2011(H23)年3月11日
14時46分
三陸沖を震源とするマグニチュード9.0の大地震が発生。

最大震度7、死者1万5878人、行方不明者2713人、倒壊(全半壊)39万7317戸。
「巨大な津波が家や車、人や集落を飲み込んでいった。福島第一原発では水素爆発が起きる。
想定外の災害に被害状況の把握さえままならぬなか、放射能の恐怖が人々を襲った。」
(朝日新聞・朝日新聞出版「東日本大震災」76ページ)
2011年(平成23年)9月2日〜2012年(平成24年)12月26日
野田佳彦内閣
2011(H23)年12月
大瀧雅之東大教授の「平成不況の本質〜雇用と金融から考える」(岩波新書)が刊行
される
「・・・政治家には・・なすべきことがある。
それは、
@所得税の累進率・最高税率をもとへ戻し、高額所得者の優遇をやめること。
A相続税の累進税率を1992以前の水準に引き上げ、それと見合った形で贈与税の税率も引き上げること。
B現在分離課税になっている証券からの所得を、所得税の課税ベースに算入し、一刻も早く富裕層・高額所得者を対象とした証券優遇税制をやめること(分離課税率を2014年に現行の10パーセントから20パーセントに引き上げることをもつて「証券優遇税制」の撤廃と言われることもあるが、筆者はまったくこれにくみしない)。
である。現状の税制は、まさに所得分配の不平等を拡大する方向へ作用するものであ」る(P79以下)。
教授は言う。
「人は独りでも生きられると信じている人たちが増えている。これほどまでに社会的分業が進んでいてもそう感ずるのだから驚きである。」(P183)。


2012(H24)年8月 
消費税増税法成立
消費税率を2014年4月に8%、15年10月に10%へと段階的に引き上げる消費税増税関連法が8月10日、民主、自民、公明などの賛成多数で可決、成立した。」
フラットな税率の消費税の理念は、
詐称自由(資本)主義欠落才覚人天下人工市場似非社会・国家主義犯罪思想だ。
自民や公明が賛成するのは、そのためだ。
それが分からない野田民主党が壊滅的敗北をするのは当たり前だ。
未納問題や生活保護の問題を考えれば、消費税だけでの生活保護レベルの基礎年金を構築し(消費税はそれ以外には使わない)、公的年金制度は廃止する(民営化もしない)くらいのことを考えるべきだったのではないだろうか。






5  (
幻覚国家絶対自由資本主義似非社会化 完成前期)
   ――第2次第3次安倍晋三政権(2012年12月26日〜)



2012年(平成24年)12月16日
第46回衆院総選挙で、自民党単独過半数、自公で3分の2議席獲得。民主壊滅的敗北。

安倍晋三自公連立政権発足。
2012年(平成24年)12月26日〜2017年(平成29年)9月29日
第2次第3次安倍晋三内閣


2013年(平成25年)1月22日
政府と日銀が共同声明
物価目標2%を明記
2013年(平成25年)4月4日
日銀が異次元の金融緩和導入を決定
2013年(平成25年)12月6日
 
2014年(平成26年)12月10日施行
特定秘密保護法が成立した(12月13日公布)


2013(H25)年4月5月6月
オリバー・ストーン&ピーター・カズニック「オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史」1,2,3(大田直子・鍛原多恵子・梶山あゆみ・高橋璃子・吉田三知世訳、熊谷玲美・小坂恵理・関根光宏・田沢恭子・桃井緑美子訳、金子浩・柴田裕之・夏目大訳)早川書店
「企業によるアメリカのレイプ」――上位1%が国の富の40%を所有していた」(3-334ページ)
貧困下で暮らすアメリカ人は4620万人――史上最悪の数値」(3-335ページ)
2013(H25)年4月
リチャード・E.ルーベンスタイン「殺す理由」(小沢千重子訳)紀伊国屋書店
[アメリカにおいて]戦争はいまや絶え間なく続く通常の活動のように思われる。
2013(H25)年6月
堤未果「(株)貧困大国アメリカ」岩波新書
それは人々の食、街、政治、司法、メディア、暮らしそのものを、じわじわと蝕んでいく。あらゆるものが巨大企業にのまれ、株式会社化が加速する世界、・・・


2014年(平成26年)4月1日
消費税率を8%に引上げ
2014年(平成26年)7月1日
集団的自衛権の行使容認の閣議決定
2014年(平成26年)12月14日
第47回衆院選。自公で326議席の圧勝


2015年(平成27年)9月19日
 
2016年(平成28年)3月29日施行
安全保障関連法成立。
「安全保障関連法は19日未明の参院本会議で、与党などの賛成
多数で可決、成立した。集団的自衛権の行使を認める内容で、
戦後の安保政策は大きく転換する。民主党など野党は関連法を
「憲法違反」と主張し、世論に反対論が残る中、安倍政権は合憲
との立場を強調し、抑止力の向上を訴えて採決に踏み切った。」
(2015.9.19日本経済新聞)


2016年(平成28年)7月10日
第24回参院選
自、公、維などで憲法改正の発議に必要な3分の2超に


2017年(平成29年)1月20日(現地時間)
ドナルド・トランプが米国新大統領に就任
「減税と超大型公共投資は双子の赤字やインフレを心配させるが、
同様に大盤振る舞いをしたレーガン政権は「プラザ合意」(1985年)
で赤字のツケを日本などに回して解決した。その前例を踏襲する
のか心配だ。」
(木村太郎、2017.1.22東京新聞朝刊)
2017年(平成29年)6月15日 
 2017年(平成29年)7月11日施行
「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ改正組織的犯罪処罰法成立





       社会保険労務士
       特定行政書士
       ワークスタイルコーディネーター
       則自然法人権擁護システム社会研究家
            岩崎 秀政



               資本主義似非社会化によって経済成長を求めるという倒錯